satoyamanekokunのブログ

猫たち、お酒、山に虫、神社仏閣、全くまとまりのないブログですいません。

暇さえあれば虫探し「12」珍客

 

いつもながらジャングルのような我が家の庭の出来事です。子供たちが保育園のころ「トトロの森」というところに行って拾ってきたクヌギの木のドングリがあちこちに埋められていて、かなり大きくなったので今年の冬は切らないといけないかなと思いきや、知らない間に樹液酒場になっていて毎日たくさんの昆虫たちが来てくれてとても楽しい。

 

 

 

最初のうちはカブトムシにノコギリクワガタアオカナブン、スミナガシ、キタテハ、ルリタテハコムラサキなどが毎日集まってきていました。

 

アオカナブンはいつ見てもきれいな緑色の金属光沢が見事です。「コレステリック液晶構造」によって、可視光線の選択反射という現象が起きて金属のような色を放つということですが、半導体シリコンウェーハの表面酸化膜のようで楽しい。

 

しばらくするとオオムラサキも飛来しました。こちらは雌です。

こちらはオスです。羽根を開くと見事な紫色ですが次第に羽根の色もあせてきたようです。大きさもさることながらオオムラサキの飛び方には力強さを感じます。樹液をたくさん吸ってまだまだ元気に飛んでいました。

 

ヒラタクワガタにアカアシクワガタがたくさん来ている日もありました。

 

夜はミヤマクワガタも来ていました。

 

そして、8月5日(土)の出来事です。幹の陰に蝶がいました。前翅の先端だけ見えていたのですが、白と黒の模様がくっきりとした蝶です。スミナガシも翅の裏側から見ると白と黒のコントラストがきれいなので、スミナガシかなと思いきや「翅、大きくね?」と思わず独り言を言ってしまいました。

 

脅さないように静かに反対側に回ってみると、スミナガシよりはるかに大きくて後翅に赤点があります。しかも翅の表も白と黒です。

 

何とか確認できそうな画像を何枚か撮って急いで図鑑を調べてみると、奄美大島とその周辺の限られた島にしか生息していないアカボシゴマダラという蝶でした。沖縄本島でも確認された記録もあるようですが、今は生息が確認されていないということです。

 

更に気になることが書かれていました。「関東方面で広がっている中国原産のアカボシゴマダラとは交雑可能であり、今後、人為的に侵入しないよう注意が必要である。」ということです。

 

よくよく調べると中国大陸より人為的に持ち込まれたと思えわれる、移入個体群の名義タイプ亜種という個体のようです。後日、早速、信濃毎日新聞 佐久支社に電話連絡したところ、その翌日、とても詳しく連絡をいただきました。

 

長野県でも特にこの東信地方で目撃事例があるようです。2016年に軽井沢で最初に確認されたということです。

 

そして、折も折ですが、信濃毎日新聞 佐久支社に連絡をした週の8月10日(木)の信濃毎日新聞に南信の駒ケ根市でも4頭のアカボシゴマダラが確認されたということです。「見つけたら捕まえて育てたり、移動したりしないで、研究機関に報告して下さい。」と呼び掛けています。

 

幼虫は在来種のオオムラサキゴマダラチョウと同じエノキやエゾエノキの葉を食べるので、このような種との競合が起きるのではないかと懸念されているようです。

 

同じ種でも奄美大島とその周辺の限られた地域で生息している在来種のアカボシゴマダラは、準絶滅危惧種であるのに対して中国から入って来たものは、特定外来生物に指定されているというのは何とも皮肉な話のような気もします。

死ぬまで山歩き「12」濃霧の車山

霧ヶ峰ニッコウキスゲが見ごろだということです。ゆっくりと花を見ながら湿原を歩きたいな。などと思って三日連休初日、女房を誘って立科町から女神湖を経由してビーナスラインに出ました。流石に連休初日だし車多いな。ということで有料駐車場に止めさせていただいきます。

 

支度をして車山肩から車山ー喋々深山ー物見石ー八島湿原-沢渡を経由して、一日ゆっくり歩こうかななどと思っていたのですが、高原の景色はすっぽり霧の中です。まあ、こんな日もあります。

 

動かないと寒いほどですが、歩き始めると温まってきました。それでも露出しているところは寒いので手袋は忘れないようにしましょう。

 

 

 

いつの間にかかわいい休憩所ができていました。展望の良いところに置いていただいたのだと思いますが、何十年も前の記憶をたどってもこの辺りからどんな景色が望めたのか全く覚えていません。

 

強風で揺れてしまってひどい画像ですがイブキトラノオです。

 

 

この花も見頃ですが風で揺れてしまいます。ハクサンフウロでしょうか。

 

 

ウスユキソウ、ミネウスユキソウ???

 

 

足元に注意しましょう。かわいい花が咲いています。ハッカのような爽やかな香りのするイブキジャコウソウです。

 

 

コウリンカでしょうか。花弁が好き勝手な方向を向いているのがかわいいです。

 

こちらの花はもう直に咲きそうですが、アサギマダラの好きなヒヨドリバナですかね。

登山道から右手はアカマツレンゲツツジの地上部は春先の山火事ですっかり枯れています。下草も黒く焼け焦げた跡が確認できます。この登山道のおかげで左手方面には燃え広がらなかったようです。

 

登山道も晴れていれば気持ちが良いのですが、こんな日もあります。

 

 

 

ゆっくり歩きながら車山頂上に着きました。

 

こちらが正確な三角点だと思います。白い杭の文字が確認できませんが「国土地理院」と書かれていたのだと思います。

 

平成11年11月に富士山レーダーに代わって気象観測を開始した、車山気象レーダー観測所もすっかり霧の中です。まあ、こんな日もあります。

 

 

 

茅野市のスキーシーズンの安全を祈願して建立された「スキー神社」がこちらの社の前身です。山の神様「おおやまつみのみこと」が祀られています。

 

 

濃霧の中で一段と神聖な雰囲気を感じる領域です。

 

昨年8月下旬から10月かけて建てられた御柱です。配置は諏訪大社と同じく向かって手前右側が車山神社一の御柱で、時計回りに社を囲むように順番に建てられています。

 

諏訪大社御柱際は奥山から切り出された御柱は山を下って、林道を引かれて、急坂を下って、里引きされて最後の建御柱の神事になります。車山神社では1800メートル下の山の中から切り出された御柱は1925メートルの頂上まで引き上げられて、神様となって建てられるということです。

 

気象レーダー観測所の南には立派な頂上テラスができていました。車山神社にお参りしてちょうどお昼の時間になったので、こちらでお昼をいただきました。天気さえ良ければここから左手に八ヶ岳の峰々に富士山、南アルプス中央アルプスが望めるはずですが、まあ、こんな日もあります。

 

それでもすっかりお腹が空いていたので美味しくお昼をいただきました。下界で見たらガマン大会でもしているかの如く上着を着こんでいますが、お腹がいっぱいになっても休むと途端に寒く感じます。

 

 

またまた、天気さえ良ければ、一日ゆっくり歩きたかったのですが、こんな日もあります。またの機会にしましょう。それでも時々、青空も微かに見えると一瞬、霧も薄くなってこんな景色のご褒美が見れました。

 

今は見ごろのニッコウキスゲも電気柵の中で保護されています。登山道の境界のロープはそのまた手前なので、スマホだと電線が入ってしまいます。帰りは時間も早かったのでちょっと寄り道して、長門牧場でソフトクリームをいただいて帰りました。

 

神社仏閣を訪ねて「9」歯痛地蔵さん

梅雨前線の影響で九州北部、山口県などでは記録的な豪雨になっています。被災地の皆様には謹んでお見舞い申し上げます。

 

7月9日の夜明け前はこちらでも激しい雨の音で目が覚めました。4年前の台風19号を思い出します。そして、今年は夏祭りも4年ぶりに再開されています。とはいても新型コロナウイルスの感染者数は徐々に増えているようですので、自分なりに注意して行動するようにしています。

 

先日、女房と買い物に行ってちょっと寄り道してみました。国道18号線を軽井沢方面に向かって、追分の信号を左折すると中山道追分宿になります。

 

 

信号を左折して百メートルほど進むとユニークなお地蔵さんがたくさんあるという、曹洞宗 浅間山 泉洞寺の門柱が見えてきます。

 

中山道に面した第一駐車場に建立されている「なかよし地蔵尊」です。お地蔵さまとは「地蔵菩薩」といい、お釈迦様が入滅された後、衆生を救済するためにこの世に下りるとされる弥勒菩薩が現れるまで56億7000万年かかるとされています。この間の現世において私たち人間は死後、六道の世界を巡るということですが、この六道の世界にはそれぞれの苦しみがあるということです。地蔵菩薩はこの六道の世界を自由に往来することができて、仏様に代わってこの世界で苦しんでいる人を救ってくれるという、とてもありがたい存在なのだそうです。

 

 

人間は生きていても亡くなった後も、またまた生まれ変わってもこの六道の世界で苦しむということなのです。お釈迦様は修行してこの六道輪廻から解脱して、極楽浄土に行かれたということなのですが、骨と皮だけになるような荒行をしても悟りを開けなかったということです。難行、苦行を重ねても悟りを開くことはできないということをお釈迦様は身をもって体験したわけですから、これはとても大切な修行の一つとなったのではないのでしょうか。

 

 

浄土宗・浄土真宗では「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えることで極楽浄土に往生できるということですですから、何となく食い違いを感じてしまうのです。阿弥陀如来さまは「全ての衆生を極楽浄土に導きます。」と誓いをたてられた方ですから、だれでも平等に極楽に行かれるのではないのでしょうかと考えていますが・・・?

 

たぶん、お釈迦様のように菩提樹の木の下で静かに瞑想したところで、自分のような煩悩の塊のような人間は悟りの境地に入れるなどとは当然思ってもいませんが、すべては阿弥陀如来さまにおまかせして「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」と唱えるようにしましょう。法然上人に親鸞聖人はすべての人が同じように救われると申されていますので。

 

 

掲示スペースのすぐ隣に「夢の箱」という青空文庫があります。どの本でも1冊借りて行っていいのだそうです。

 

 

中山道も暫くぶりに来てみまたのですが、段差もなくきれいに整備されていました。

 

右の門柱脇には少しひょうきんな表情の「おで迎え地蔵尊」が建っています。

 

きれいに手入れされた木々の中を進みますが、新緑と梅雨時のしっとりした感じがまたいいかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山門の手前にはユニークな石仏が建っています。

 

六体あるお地蔵さんもみんな同じようですが、よく見ると一体一体、表情が違います。

 

今年は兎年なので、美味しそうなお餅をついているかわいい兎の絵馬が奉納されています。

 

山門をくぐって右手には立派な鐘撞き堂がありました。

 

正面には立派な本堂があります。

 

本堂手前、右手にはかわいい「縁結び地蔵尊」がありました。

 

 

軽井沢と言えばこの二つのスポーツを思い浮かべますがとてもユニークです。

 

 

 

本堂左手にもユニークなお地蔵さんが勢ぞろいしています。なかには笑福亭鶴瓶さん似たお地蔵さんもあるとかという噂ですので是非探してみましょう。

 

やさしい顔の観音様です。

 

貞明皇后さまに書道を教えられたという軽井沢出身の書家、稲垣黄鶴の句碑と筆塚があります。句碑には「浅間嶺の 今日は晴れたり 蕎麦の花」と刻まれています。

 

 

 

 

本堂右手の赤松の下には歴史を感じる石仏がありました。

 

 

本堂左手の案内表示に従って進むと、作家 堀辰雄が愛した石仏「歯痛地蔵」があります。堀辰雄の作品と言えば「風立ちぬ」くらいしか読んだことがなくてすいません。

零戦の設計者 堀越二郎が主人公の作品ですが、妻は若くして結核で亡くなってしまいます。実際には須磨子さんという健康な女性で子供も6人授かっていて、長生きされたということです。

 

それでは、結核で若くして亡くなられた菜穂子さんという方はだれなのでしょうか?全く架空の人物ということではなくて堀辰雄の婚約者だったようです。9月に婚約して次の年の12月に結核で亡くなられたということです。アニメも映画館で見ましたがとても悲しい話です。そんな訳でもっと堀辰雄作品を読んでみましょう。

この石仏を刻まれた方は石工さんなのだろうか?それとも芸術家だろうか?そして、どういう思いで造られたのでしょうか?痛そうに左頬に手を当てている姿がなんとも芸術的な石仏だと思います。

 

そして、ありがたいことに歯の病にご利益があるということです。神社の狛犬にお地蔵さんは撫で仏「おびんずる様」と同じで、触ることでそのパワーを分けていただけるそうです。痛そうなところに触ってご利益にあやかりましょう。

 































 

お酒の話「18」富山から

先週末に関東甲信もすっかり梅雨入りして蒸し暑い日が続いています。えらく前の話になりますが、ゴールデンウィーク直前の四月下旬、女房は娘のアパートに二泊で出かけて娘とアルフィーのコンサートに行きました。コンサートは盛り上がったことだと思いますが、ゆっくりしてくるつもりが二泊目は家に帰りたくなったようです。

 


往復新幹線だから手荷物は少ないほうが良いのに、こんな嬉しいお土産を買ってきてくれました。

 

近頃では、その地方のお酒がセットで売られているのは買い求める方も、いただいたて飲み比べする方も色々とありがたいお土産だと思います。

 

若鶴酒造株式会社 辛口 若鶴 生貯蔵酒 「玄」

「辛口」とありますが、確かにすっきり辛口で口当たりが良くて、おいしい水をいただいているような心地です。飲み飽きないお酒だと思います。後味の辛味、酸味、ほのかな甘みを楽しみながら、山菜に川魚料理などといただきたいお酒です。

 

 

玉旭酒造 有限会社 大吟醸「おわら娘」

透明なグラスに注いでみます。淡い黄緑色がきれいです。香りは華やかなフルーツの香り、美味しい果物のような甘さが中心になったお酒です。新鮮な熟成感があって後味のわずかな苦みもアクセントで美味しい。

 

一昨年、富山まで娘を連れて行って寮に置いて帰るときは寂しくて仕方なかったのですが、夏休みの終わった娘を送って行った帰りは、多少の気持ちの余裕もできて美味しそうなお酒も買って帰りました。こちらも玉旭酒造 有限会社の本醸造原酒「おわら祭り」です。どちらもラベルを見ただけでいただいてみたくなるようなデザインです。

 

 

立山酒造 株式会社 本醸「立山

富山県を代表するお酒ですが、どちらかというとやや辛口だと思います。体に吸い込まれるような自然な美味しさを感じます。香りも控えめで癖がないのでどんな料理にも合うお酒だと言えます。

 

今年は酒米にも異変が起きているということです。新型コロナウイルスの長引く影響でお酒の需要が年々減少したことによる作付の減少に加えて、天候不順による不作が追い打ちをかけているようです。

 

酒米は食用のうるち米と違って、やや標高の高い山間部の冷涼なところを好みます。草丈が高くてなおかつ風通しを良くしないといけないので株間を広くとります。したがって、強風で転びやすくて単位面積当たりの収量も少ないのが特徴です。ただでさえ手のかかる作物と言えます。そんな農家の皆さんのご苦労も感じながら美味しいお酒を味わってみなくてはいけない気もします。

 

 

何処かにしまい忘れたとばかり思っていた「きき酒師資格認定証」ですが、先日、探し物をしていて古いソファーの裏から出てきました。一生懸命勉強してとった資格なのに何とも杜撰なことです。再発行してもらおうかとも考えていたのですが、ネズミにかじられなくてホッとしました。

「いぼ石」

 

6月4日(日)今日は「区内一斉清掃」です。文字通り、区民のみなさんで区内のゴミ拾いをして、集めたゴミを処分場に持ち込むという地区もあれば、何もない地区もあるようです。

 

私たちの地区では、4月の側溝清掃のとき収集したゴミを、衛生委員長が最終処分場に搬入するということになっています。

 

その後、去年建てた不法投棄撲滅のためのお地蔵さんの周りが草だらけになっていたので、草刈りをしました。

 

今日は天気が良くて気持ちのいい日です。そのまま少し下って、隣の集落の上にあるおふくろの実家の田んぼのあろところに行ってみました。

 

中学校の頃までは毎年、田植えに稲刈り脱穀を手伝いに来ていたのでとても懐かしいところです。

 

傾斜地に何枚かある田んぼのいちばん上の草地に、「いぼ石」と呼ばれている石があります。

 

表面は苔生していてかなり大きな石です。表面にイボのような突起が無数にあります。その形状から「いぼ石」と呼ばれるようになったのだと思いますが、たぶんこの地域でもこの辺りの限られた人たちしか知らない呼び名だと思います。

 

多分、火山性の石だと思いますが、北には浅間山、南には八ヶ岳蓼科山があります。

浅間山の噴火で噴出された石だとすると、これより小諸方面に向かうと同じような石があると思うのですが、あまり見かけません。

 

これからは自分の想像になりますが、国道141号線を南佐久に向うと小海町辺りに入ると同じような石をたくさん見かけます。驚くことにさらに大きいものもたくさんありますので多分、八ヶ岳の噴火で噴出された石だと思います。

 

大きさの比較で自分の帽子を置いてみましたが、この「いぼ石」には、あまり嬉しくない謂れがあります。それは、「いぼ石」に乗るといぼができるというものです。全くの迷信かもしれません。しかし、自分にも身に覚えがあります。

 

それは、小学校5・6年生の時、多分田植えを手伝いにいったときのことだったと思います。休み時間に従兄と遊んでいて、この「いぼ石」に乗ってみました。高くていい眺めでしたが、全くの偶然かもしれないのですが、この「いぼ石」に乗ってしばらくたったころ、両手の甲に小さなイボがびっしりできてしまいました。

 

最初は数も少なかったのですが、徐々に増えていきて気になって気になって仕方ないので、「イボコロリ」という薬を買ってきて使ってみたのですが治りませんでした。イボの種類によっては効くのかもしれませんが、今でもその塗り薬は市販されていて内服錠もあります。

 

そして、何をやっても治らないので気にしないことにしましたが、おふくろから教わったさらに迷信のような話を試してみました。それはナスを二つに切って、その切り口でイボあるところを擦ってそのナスを土に埋めるのだということです。(但し、何十年も前に聞いた話なので間違っている部分もあると思います。)

 

全く効かなくてもいいので言われたように試してみました。これまた偶然で、たまたま治る時期が重なっただけかもしれませんが、多分その一・二ヶ月後くらいにびっしりあったイボがすっかりなくなりました。

 

汚い手ですけどイボの痕跡は少しあります。

 

この世には科学では説明のつかない迷信のような話がたくさんありますが、あながち迷信で片づけられないような事例もあります。あまり良くない謂れのあるものは、先人の方たちから聞いた通り大切にしないといけないという思いがします。

 

この地区は湧水が豊富で、ほとんどの家に簡易水道があります。おふくろの実家の庭には池があっていつも鯉がいました。田植えが終わったこの田んぼを潤しているのも豊富な湧水です。水がきれいなので小さな流れには、絶滅危惧種ホトケドジョウがいます。

 

北にはこのところ火山性地震の多い浅間山があります。

 

死ぬまで山歩き「11」海岸線から一番遠い地点

みなさんこんにちは。読者のみなさんに深くお詫びを申し上げます。この記事の編集中に何と操作を間違えて公開してしまいました。6/1のアクセス数は49件にもなっていました。急いで編集しておりますので、今後とも宜しくお願い申し上げます。

 

今年は、梅雨入りが早ということです。農作業が間に合わなくてモヤモヤしてますが、梅雨に入る前にはマルチだけは敷いておきたいと思って、今度の土、日は天気も良さそうです。27日(土)は午前中、女房に手伝ってもらって、午後は「ハンちゃん」に手伝ってもらって、思ったよりというか思った以上にはかどったので上機嫌です。

 

そして、頭を過るのは明日も天気は良さそうだし、女房とちょっと何処かに出かけてみたいと思いました。かといって、明後日から仕事だし、一日中山歩きをしているわけにもいかないので、かねてから行ってみたいと思っていた「日本で海岸線から一番遠い地点」に決めました。

 

 

 

 

住吉橋で千曲川を渡って、JR小海線龍岡城駅の踏切を渡ります。そして、五稜郭に囲まれた龍岡城跡を右手に過ぎて、あとはひたすら雨川ダムまで進みます。エメラルドグリーンの水を湛える神秘的なダム湖です。水がきれいで今日は暑いくらいの日なので、流れ込みでは釣りにカヌーを楽しんでいる人たちがいました。

 

雨川ダムの流れ込みに行く左手に広場があります。以前はこの場所に「湖月荘」という町営の温泉施設がありました。友達とゆっくりお風呂に入って、湯上りにソファーでくつろいで何とも落ち着くところだったのですがとても残念です。

 

こちらの遮断器からは一般車両は入れませんのでここから歩き始めます。

 

最近、佐久市でもツキノワグマの目撃例が報告されていますので十分注意しましょう。

 

こちらの地図では湖月荘が記されています。

 

トチノキの葉がきれいです。

 

最初の林道の分岐にはカーブミラーがありますが、左に行きますので間違えないように注意しましょう。

 

見事なオニゼンマイの群落です。

 

 

最初に沢を渡るこの辺りまで以前、車が入れたのだと思います。

 

 

 

ヒメカンアオイでしょうか?ハート形で光沢のある葉がきれいです。ヒメギフチョウの幼虫の大事な食草なので、もう少し早い時期に来れば「春の妖精」ヒメギフチョウに行き会えたかもしれません。

 

新緑の中の山道は気持ちが良いです。

 

頭上にコシアブラの木がありました。

 

ここでも沢が分岐します。矢印を見落として左に行ってしまいましたが、ちょうど一休みして気がついて戻りました。 

 

沢の水はきれいですが4年前の台風19号の影響でしょうか、倒木がたくさんあります。こちらよりわずかに南の十石峠付近が全国でもいちばん雨量が多かったということですから、この辺りも同じくらい降ったのだと思います。

 

徐々に勾配がきつくなってきました。

 

2枚とも写真が下手ですいません。ヤマクワガタ? クワガタソウ???

草丈から判断してヤマクワガタかなと思います。

 

小さいですけど山菜としても人気があるウワバミソウですが、ミズまたはミズナ、ヤマナとも呼ばれています。

 

こちらも山菜として人気のヨブスマソウ別名ウドブキとも言います。

 

ラショウモンカズラでしょうか。 かわいい花なのに名前の由来がちょっと怖いですが、蕾の形が羅生門で切り落とされた鬼女の腕のように見えるということです。

 

観葉植物のようなきれいな葉は???  カンアオイの仲間でしょうか?

こちらもヒメギフチョウの幼虫の食草だと思います。

 

きれいな光沢のある葉は、モミジガサでしょうか。

 

倒木にきれいなつる性の植物はマタタビ? サルナシ? 苔盆栽のようです。

目的地が近くなって下ってくるご夫婦と行き会いました。

 

クリンソウは咲きはじめでした。

 

花はまだですがトリカブトだと思います。小さい頃の葉はニリンソウに似ていますが、間違っても食べないようにしましょう。

 

 

目的地も目前です。

 

 

 

 

 

 

こちらが正しい基準点です。

北緯 36度 10分36秒   東経 138度 34分49秒

標高 1200m   静岡県 富士市 田子の浦港から 114.853m

           新潟県 上越市 直江津から   114.854m

           神奈川県 小田原市 国府津から 114.862m

           新潟県 糸魚川市 梶屋敷から  114.861m

 

樹林帯の中なので展望は開けませんが、けっこう達成感を感じます。自分は遮断器を過ぎた辺りの林道が続くのかなと思っていたのですが、距離の割にはなかなか険しかったです。今年、最初の山行なのでとても楽しかったですが、やっとのことで編集を終えました。最初に閲覧していただいたみなさんに重ねてお詫び申し上げます。

 

             



 

あの街の思い出「10」鬼無里

 

 

毎年楽しみにしているGWですが、子供たちも現地でアルバイトがあったり、たまに帰ると地元の友達とも約束があったりで、なかなか家族みんな揃うこと少なくなってきました。

 

5月3日天気も良さそうです。家族4人で長野市 鬼無里に行ってきました。天気が良くて本当に良かったと思います。戸隠に通じる「大望峠」から眼下に広がる鬼無里の集落に、後立山連峰、一夜山、西岳連峰(戸隠)は素晴らしいです。

 

 

 

左手、一夜山から戸隠連山へと続きます。

 

鬼無里のほぼ中央にある一夜山、鬼無里は昔、「水無瀬の里」と呼ばれていました。天武天皇がこの地に都を移す計画を耳にした鬼たちが、一夜にして村の真ん中に作った山だということです。

 

一夜山の奥に見える後立山連峰は、画像中央付近に唐松岳が確認できます。その左に五竜岳鹿島槍ヶ岳爺ヶ岳が確認できます。あの辺りを歩いたのは、かれこれ30年以上も前になります。

 

 

 

 

最初に行ったのが松巖寺です。悲しい最期を遂げた「鬼女紅葉」の暮らしていた洞窟にあった守護仏である地蔵尊を祀ったお堂と、紅葉とその家臣のお墓がこの場所に建立したのが松巖寺の始まりだということです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本堂の脇にあるかわいい「貴女紅葉」

 

その裏はちょっと怖い「鬼女紅葉」

 

 

 

「鬼女紅葉」のお墓です。「釜岩紅葉大禅定尼位」という戒名で手厚く葬られて、今なお村人たちからは愛されているのではないでしょうか。

 



 

 

何とも、愛嬌いっぱいの石仏さんたちです。

 

 

 

鬼無里ふるさと資料館に4基保管されている屋台の内、いちばん大きい屋台が今日4年ぶりに引かれるということです。「一木彫り」に「透かし彫り」という技法を用いた彫刻はそれは見事です。

 

 

神事を終えて松巖寺から鬼無里神社まで屋台が引かれて行きます。

 

そば処に農産物直売所、おやきの有名なお店などがある鬼無里「旅の駅」です。今日はとても賑わっていました。

 

楽しみのお昼は、鬼無里「旅の駅」にある「そば処鬼無里」でいただきました。何とそば粉だけの「十割そば」です。太くてしっかりこしがあって美味しかったです。みんなで蕎麦団子もいただきました。蕎麦以外にも奥裾花ダムに因んだ「ダムカレー」も人気だそうです。

 

何だか遠出すると決まってお昼は蕎麦って感じですが、「信濃では月と仏とおらがそば」というくらいですから、特に北信地方に来た時くらいは蕎麦食べたいですよね。

 

有名なこの句は小林一茶の句だと思っていたのですが、どうやらそうではないらしいです。「田毎の月」で有名な千曲市 姨捨に長楽寺というお寺がありますが、この寺に「信濃では月と仏とおらがそば 一茶」と彫られた句碑があって、現在は近くの公園に移設されているということです。

 

一茶の有名な句は「そば時や月のしなのの善光寺」と詠まれた句です。それでは、この句はだれが詠んだ句かということになりますが、一茶同好会の代表だった、中村六郎という方がいました。一茶ゆかりの地、信濃町 柏原の旧本陣中村家の出身で、中村家は「氷そば」といって、そばを寒中に凍らせたものを売り出していたので、この宣伝を兼ねて中村氏がこの句を世に広めたというのが本当のようです。

 

 

 

 

鬼無里ふるさと資料館」は娘と二人で見学しましたが、展示されている資料も多くて、中はとにかく広いです。

 

4基の屋台が展示されている部屋から順に回って行きます。

 

 

麻に林業そして、蚕業が鬼無里の人たちの生活の糧となっていたようです。

 

 

 

 

こんな立派な炭焼き窯を使っていたんですね。

 

見覚えのある蚕具も大切に保管されています。

下駄スケートというのはありましたが、こちらは下駄スキーでしょうか。

 

 

遺跡もたくさんあります。

 

今から1000万年前~170万年前に堆積した海の底だった時代の地層から、様々な地層が露出した場所が多くみられるため、地質学的にも貴重な地域といえます。時間さえあれば、ハンマー片手に一か月ほど滞在したいほどです。

 

サンドパイプとは生痕化石のことですね。

 

 

 

 

ステゴドンゾウの奥歯の化石です。ゾウ目 ステゴドン科のゾウの総称で、日本固有のアケボノゾウにミエゾウなどの種があるということです。

 

 

 

 

 

 

多くの貝類の化石に、広葉樹の葉の化石、クジラの骨の化石に魚類の化石、海の底だった時代の海洋生物から陸地になった時代の化石、気の遠くなるほど長い時間の流れの中で形成された貴重な標本といえます。

 

大事なことですが、この資料館は受付の職員さんに最初に確認しましたが、写真は自由に撮ってもらって構いませんということでした。

 

 

 

 

 

娘と資料館を出ると女房と息子は待ちくたびれていましたが、「いろは堂」でみんな好きな「おやき」を買ってもらいました。

 

 

 

周りはモッチモチ、フワフワで中身たっぷりでとにかく美味しかったです。

 

最後に寄ったのが、野生酵母パンのお店「ソノマノ」でパンを買って帰りました。

 

パン屋さんから地元の山の稜線の間に、白馬三山と天狗の頭、天狗の大下り、不帰ノ嶮がすっぽり入っていました。このお店の特権ともいえる絶景です。道が狭かったので下の農家におばちゃんがいたので、「車を回らせてもらっていいですか?」と聞いたら「ここはどこでもいいだよ。気をつけてって。」と声をかけてもらって、庭先を借りて車を回らせてもらいました。

 

鬼無里は自然が豊かで、とても長閑な良いところです。松巖寺の駐車場から見た鬼無里小中学校です。こんな素晴らしい環境で育つ子供たちはとても幸せだと思います。

 

鬼無里というと、「奥裾花自然園」に「奥裾花渓谷」にも行ってみたかったのですが、一日であまり欲張っても無理ですから、またの機会を楽しみにおみやげに買った純米酒水芭蕉」をいただきながら、鬼無里の思い出に浸りましょう。