satoyamanekokunのブログ

猫たち、お酒、山に虫、神社仏閣、全くまとまりのないブログですいません。

暇さえあれば虫探し「18」

 

  

 去年、女房の実家の梅を採るのを手伝いに行って、実生のエノキをいただいてきて植えておきました。オオムラサキが来て産卵してくれたらいいなと思っていたのですが、5月24日仕事から帰ってそのエノキを見ると、見慣れない青虫が何頭かいました。明らかにオオムラサキの幼虫とは違います。

 

 あまりにもたくさんいたら不快な生き物に感じてしまうと思いますが、5頭だったので何処となく可愛く感じます。早速、調べてみるとテングチョウの幼虫のようです。3日ほどして見てみると、すっかり姿がありませんでした。既に終齢に近かったのだと思います。

 

 エノキの周辺に蛹がないか探してみましたが見当たりませんでした。そのうちテングチョウの成虫が見られることを楽しみにこのエノキの周辺を踏みつけないように気をつけていました。なかなかチョウは幼虫の姿を見かけることが少ないので、とても勉強になります。

 

 この成虫は、昨年6月19日家に来たテングチョウです。テングチョウは6,600万年前の地層から化石が発見されたことから、「生きた化石」とも言われています。翅の薄い成虫のチョウが化石で発見されるのはとても珍しいことで、世界でも65個と言われています。氷河期も生き延びてきたチョウですから、これからも環境破壊で絶滅するような事のないよう大切にしたいチョウです。

 

 

  

                      ウラギンヒョウモン(雄)

 6月21日蓼科スカイラインからJAXA臼田宇宙空間観測所に向かう林道に通じる狭い未舗装路ですが、対向車とすれ違うのも大変な悪路です。しかし以前から不思議にヒョウモンチョウがたくさん集まる場所です。多分この辺りの山には食草になるスミレの類が多いのだと思います。

 

  

                                                                               メスグロヒョウモン(雄)

 羽化して間もないメスグロヒョウモンだと思いますが、可哀そうに交通事故に遭ってしまったようです。

 

  

                        ツマグロヒョウモン(雌)

 7月18日 榛名平公園の薬草園で行き会ったツマグロヒョウモンです。薬草園は佐久薬草研究会の皆さんがいつも熱心に手入をして管理していますから、薬草にハーブの珍しい花がたくさん咲いています。昆虫たちもたくさん集まってきますが、この日は曇りがちで肌寒い日でした。

 

                        ツマグロヒョウモン(雄)

 ツマグロヒョウモンの雄もいました。なかなか警戒心が強い個体で、近づいては逃げられてしまいます。

 

                          オオハキリバチ(雄)

 やや小型だから雄だと思います。時々家の中にも入ってきたりします。攻撃的ではなくて呑気で大人しい蜂ですが、身の危険を感じると「一応刺すよ!」といった感じだから、そっと表に出してあげます。薬草園のラベンダーは昆虫たちに大人気です。

 

                            シロテンハナムグリ

 夢中で花の蜜を吸っていて、全く警戒心がなくて何ともかわいいです!またハナムグリにカナブンはコガネムシのように農作物を食い荒らすようなことはなくて、花の蜜や樹液を吸います。その時ついた花粉を別の花に運ぶので、植物の生殖にも貢献している昆虫と言えます。

 

 6月21日 JAXA臼田宇宙空間観測所に向かう林道に行ってみました。この日も天気がはっきりしないので、チョウの姿は少なかったようです。少なくなったヒヨドリバナにミドリヒョウモンが来ていました。

 

 

 フシグロセンノウにミヤマカラスアゲハが渡り歩くように飛んでいましたが、写真は撮れませんでした。この日はフシグロセンノウにキツリフネが見ごろでした。

 

 台風28号がハリケーンから台風に変わったということですが、さて・・・・・?

台風・ハリケーン・サイクロンの違いは何だろうと思って、天気予報を見ていたら東経100度~東経180度の範囲にある熱帯低気圧を台風と呼んで、東経100度より西にあるものはサイクロンと呼び、東経180度より東にあるものをハリケーンと呼ぶのだということです。

 

 台風28号は発生したばかりは東経180度より東にあったためハリケーンだったのですが、西に移動して台風に変わったということです。とても勉強になりました。

暇さえあれば虫探し「17」

 なかなか「虫探し」にも出かけられませんが、以前は時々、山菜取りに行った場所が懐かしくて出かけてみました。大掛かりに伐採されたり、鹿の防護柵で覆われたりしていて、記憶にある景観とはかなり違っていましたが、この日は天気も良くて、暖かかくて気持ちのいい日です。

 

  

                      2026年5月6日 佐久市

 まず行き会ったのは「サカハチチョウ」の雌です。この時期なので春型ですが、夏型は「イチモンジチョウ」の仲間かと思うような色彩です。四国、九州から北海道まで広く分布していますが、家の辺りでは見かけることはないチョウです。

 

  

 

 

  

                                                                          2026年5月6日 佐久市

 別の種類のチョウには行き会わないから、少し上に移動します。小型の白い個体をみつけました。「ツマキチョウ」の雌でした。雄は前翅の先端に黄橙色の部分があるから見分けがつきます。南西諸島以外は広く分布していますが、4月上旬から6月上旬くらいの短い期間だけ姿を現すかわいいチョウです。

 

 

  

 

  

 

 小さな清流もあって野生のイワナ、カジカも見られます。この時期のコゴミ、ゼンマイなどもありますが、ニリンソウ、ルイヨウボタン、サクラソウもきれいな時期でした。

 

 

                         2026年6月14日佐久市

 1ヶ月ほどして同じ場所に行ってみました。この日、天気ははっきりしなかったのですが、チョウの姿は多かったです。林道でまず行き会ったのは「イチモンジチョウ」です。早速、先月と同じ場所に車を停めて観察してみます。

 

  

 

  

 

 「サカハチチョウ」がいました。先月行き会ったチョウと同じ個体かな?と思ったのですが、こちらは雄です。1ヶ月前に行き会った雌は警戒心が強かったようですが、この雄はカメラを構えていると、腕に止まったり、指に止まったり全く警戒心がなくてかわいい。

 

 少し上まで行ってみましたが、他のチョウの姿はないから戻ってみると、またまたこの「サカハチチョウ」がまとわりつきます。本当に人懐っこくてかわいいなと思いながら、よくよく見ると口吻を皮膚に充てているので、汗の臭いに寄って来たのだと思います。(自分の汗、そんなにいい匂いかな・・・・?いや多分逆だと思います。)

 

                         2026年6月14日佐久市

 しばらくこの辺りをゆっくり観察することにしました。大き目なタテハチョウの仲間の飛び方です。林道に降りたので近づいてみると、「ヒオドシチョウ」でした。雌だと思いますが、青色の縁取りが鮮やかです。

 

                        2026年6月14日 佐久市

 かなり黒っぽい個体が元気よく飛んでいます。林道わきに止まったところに近づいてみました。きれいな雌の「ルリタテハ」でした。

 

                        2026年6月14日 佐久市

 カラハナソウの葉に止まったのは「ダイミョウセセリ」です。前翅の丸みのある形から雌だと思います。

 

  

 ヤマオダマキが所々に咲いていました。キンポウゲ科の植物ですが花の形はどう見ても同じ科とはほど遠い気がしてしまいます。赤い花はコウリンタンポポですが、ヨーロッパ原産の帰化植物です。特定外来生物には指定されていませんが繫殖力が旺盛な植物で、こんな山深いところまで入り込んでいるのに驚きました。

 

 以前、この辺りでヘビに行き会ったことはなかったのですが、10年ほど前、山菜取りに来たとき、シマヘビに行き会ったのには驚きました。多分、というより温暖化の影響に間違いないと思いますが、こんなところにまで変化が起きていることに、かなり不安を感じます。

神社仏閣を訪ねて「16」久しぶりの善光寺界隈

 

 8月下旬から各地で豪雨災害ばかりです。ネパールで発生した土石流災害では、既に1380人もの方が亡くなられて、行方不明者は5500人以上ということです。フィリピン、ベネズエラ、メキシコ、コロンビア、インドネシアでは、マグニチュード7以上の巨大地震が立て続けに発生しています。

 

 熊本地震でも不自由な避難所で生活されている被災者も大勢いる訳ですが、日本は専守防衛政策と言って、今年3月に「スタンド・オフ・ミサイル」が熊本県と静岡県の駐屯地に配備されました。どうかそんな予算を被災地の支援に使ってほしいものだとつくづく思います。

 

 こちらでは水害こそ起きてはいませんが、これだけ雨の日が続くと何をするにも気が滅入ってしまいます。長野県内でも稲刈りの季節なんですが、ほとんどの地域で全く進んでいないようです。雨が続くと稲は転んで、収穫が遅れると品質も落ちますから稲作農家の方々は気が気ではないと思います。

 

 

 

 

 先々週、9月5日はみんなで「古代エジプト展」を見に行きたい。ということで娘と3人でけかけました。午前中、娘は水野美術館に行って、女房は「もんぜんプラザ」に習字の県展を見に行くということで、午前中はそれぞれ別行動にして、自分は久しぶりにゆっくり善光寺をお参りすることにしました。

 

 最近、膝の調子も少し良くなって運動不足だから、ホクト文化ホールに車を停めて歩くことにしました。長野駅前で如是姫様に挨拶をして行きましょう。今日は「曇り時々雨」という予報だったので、はっきりしない天気だろうな、と思っていましたが、徐々に晴れ間が出てきました。

 

  

 駅から末広町の信号を右に進んで、「かるかや山前」の信号を過ぎると直ぐに右手に善光寺 七福神巡りの最初の札所で、寿老人が祀られている「かるかや山 西光寺」が見えてきます。ビルとビルの間に近代的な山門が見事に調和しています。

 

 

  

 次の交差点「新田町」を左に進むと、大黒天が祀られている2番目の札所、大国主神社がありますが、今日は立ち寄らずにひたすら参道を上って行きます。さらに参道を進むと左手のやや奥に福禄寿が祀られている3番目の札所、秋葉神社があります。

 

交差点に戻って参道を上がってすぐ左手が紫雲山 十念寺の参道になっていました。確かにこの参道の突き当りが十念寺ですが、秋葉神社と同じ敷地内にあって参道が別になっているというのが何とも楽しいです。権堂のアーケードのすぐ上辺りに弁財天が祀られている4番目の札所、往生院があるのですが、すっかり見落としました。

 

  

 さらに参道を上るといよいよ善光寺も近くなってきます。大門の信号を左に進んで次の西町の交差点の左上に安養山 極楽院 西方寺が見えてきます。小林一茶が「散る花や 月入る方は 西方寺」と詠われたお寺ですが、善光寺の仮本堂としての役目と善光寺の仏像の避難所にもなっています。

 

 善光寺 御開帳の年には、こちらの二尊極楽堂にも回向柱が建てられます。この回向柱はチベット仏教さまの小指と繋がっていて「命の回向柱」と言われていますが、朱色に塗られたとてもきれいな回向柱で、大仏様の命を分けていただいて健康で長生きができるということです。

 

 善光寺をお参りする際には必ず併せてお参りしたいお寺ですが、ダライ・ラマ14世がビッグハットで公演を終えて、善光寺に参拝する際に立ち寄られてチベット大仏様に魂となる胎内仏を入れる開眼法要が行われたことでも有名です。

 

 西方寺をお参りして参道をさらに上ると、右手に布袋様が祀られている5番目の札所「THE FUJIYA GOHONJIN」があります。もちろんお寺でも神社でもなくて、老舗のホテルですが、お参りも兼ねて一度でいいから夕食でもいただいてみたい気もします。

 

 すぐ上は、善光寺の交差点です。この交差点を右に進むと恵比寿様が祀られている6番目の札所「西宮神社」があります。有名な「えびす講花火大会」はこちらの神社のお祭りえびす講の期間中に行われるということです。

 

  

 仲見世通りに入って左手に延命地蔵尊ががありますが、300年前頃までは善光寺如来堂(今の本堂)はこの場所にありました。記録によると過去に11回の火災に遭っているようです。今の場所に移ってからは火災に遭ったことはないということです。

 

 延命地蔵尊の向かいの通りの先には善光寺 世尊院 釈迦堂があります。ご本尊は釈迦涅槃像です。善光寺御開帳の年には釈迦堂の前にも回向柱が立てられます。世尊院は現世のお寺で、善光寺は来世のお寺だということですから、善光寺をお参りするときは世尊院も必ずお参りしたいと思います。

 

 世尊院はいつ見てもきれいなお寺さんだと思います。また、ご本尊様とは別に、毘沙門天が祀られていて、善光寺 七福神巡り最後の札所になります。のぼり旗に「毘」の文字を入れて戦国の世を駆け巡った上杉謙信は、毘沙門天の熱狂的な信者で知られています。

 

 

 世尊院のすぐ上には宿坊 蓮華院があります。こちらのご本尊は、かつて戸隠 九頭龍社のご本尊様の「うがはっぴ弁財天」です。戸隠奥社の隣にある九頭龍社のご本尊は九頭龍大神で「アマノタジカラノミコト」が戸隠に祀られる前からこの山を守っていた神様なので、天岩戸伝説には登場しないということです。

 

 その名の通り頭が九つある龍の姿をしていますから、「ヤマタノオロチ」もタジタジだと思います。善光寺参道と並行して東にあるこの通りにも宿坊がたくさんあります。息子が小学校5年の社会科見学で、宿坊でいただいたお昼の精進料理に感動していたのを思い出します。

 

 こちらは山道沿いの宿坊ですが、どの宿坊を見ても何とも立派な建物です。そして宿坊ごとにそれぞれのご本尊様が安置されているのも興味深いです。

 

  

  今日は本当にいい天気になりました。六地蔵様に濡れ仏様も青空に映えます。帽子を忘れたのは大きな失敗です。信号待ちでは日陰に入っていましたが、仲見世通りからは太陽も真上辺りにあって、直射日光を浴びるので頭の皮膚が熱い・・・というより痛い!と感じました。

 

  

 大香炉の僅かに手前左手に親鸞聖人立像があります。本堂をお参りする前にいつもお参りします。親鸞聖人は京都から越後に流罪になって、流罪が解けて東国に向う途中で善光寺に百日間滞在したと言われています。その年代からしても若い姿の親鸞聖人だと思います。

 

  

 今日は幸い参拝者も多くはないので、ゆっくり本堂をお参りさせていただきました。お昼時は過ぎましたが混雑は避けられた気がします。尾張屋でお蕎麦をいただきました。善光寺界隈はどちらのお店に入っても美味しいのは嬉しいです。

 

 親鸞聖人が滞在中に素手で彫られたという「爪彫如来像」に行ってみたいと思っていましたが、何時行ってもたどり着けないのでお昼をいただきながら、ゆっくり調べてみました。本堂より西の奥まったところに小さなお堂がありました。

 

 この爪彫如来さまは、目の病気に効くと言われています。鉄平石のような平たい石に見事に阿弥陀如来像が浮かび上がっていますが、お堂の中は薄暗いうえに扉は金網で覆われていますから、表情までははっきりわかりませんでした。

 

 娘からLINEが入って、「今から県立美術館通に向かいます」ということだったので、自分もゆっくりそちらに向かいましたが、信号待ちをしている時から人が多くて、チケット売り場は長蛇の列でした。

 

  

 たくさんの貴重な出土品が展示されていますが、なかなかゆっくり見れる感じではありませんでした。猫や犬はどの時代でも人の暮らしと共に大切のされていたのがわかります。日本でも弥生時代に犬の埴輪があったり、縄文時代にはネコ型の出土品があったりしますから、どこの国でもかわいがられてのだと思います。

 

人間として生まれたということは、年末ジャンボ、サマージャンボ宝くじの1等に相当するものに100回続けて当たったことより運が良いといいます。犬・猫に牛に豚などの哺乳類に生まれる確率はもっと低いことになりますから、人間どうしはもちろんですが生き物を大切にしないといけないですね。

 

  

 ピタミッドを構成している実物の画像が壁に貼られていましたが、重機もない時代にあの面積に、あの高さまでどうやって積み上げたのでしょうか?全く不思議なことばかりですが、食事は何と、かなり高カロリーのパンが配給制で食べられていたし、ビールも飲んでいたということです。

 

 先月下旬から雨模様の日が続いていますから、この日はとてもついている一日だったと思います。いつも同じような参拝の順路ですが、善光寺界隈はいつ行っても新しい神仏に出会える気がします。次回は善光寺資料館もゆっくり見学したいと思います。

 

暑い夏「1」

 7月28日に発生した熊本地震本地震から1ヶ月が経ちますが、10年前にも大きな地震に襲われたばかりか、令和2年7月には「熊本豪雨」も記憶に新しいところです。家屋は倒壊して酷暑の中、今も断水も続いている地区もあって、大変な思いをされていることと思います。謹んでお見舞い申し上げます。

 

 最近、何とも忙しくてパソコンに向かう時間もなくて、日記すら忘れてしまうほどです。5月に投稿して以来だから、いつも読んでいただいている皆さんに「あいつ、とうとう逝っちまったかな」なんて思われているかも知れませんが、何とか虫の息で生きてます。

 

 すっかり先月のことですが、かなり久しぶりに前の会社の友達と飲み会をしました。と言っても同じ職場の方々ではなくて、全く別の職場のお二人でいつも職場の旅行に誘っていただいていました。

 

 西伊豆の土肥に釣りに行ったときなどは、「俺、遅番だったから休ませて」とか言いながら、大先輩に運転してもらっていました。最終、小海の方の家を出るが早いか、後で好きなだけビールいただいて野辺山を超えたころにはすっかり熟睡していました。

 

 20~30分程度、寝ていただろうか?運転してくれた方に「小林さん着いたよ」と言われて気がつくと清水港でした。驚いたのと同時に、まったく申し訳なく思いました。清水港からフェリーで土肥に向います。時々、トビウオが飛び出すのですが、海面スレスレをまるで飛行機のように飛んでいくのを始めて見てとても驚きました。

 

 

 

   

 土肥に着いて一日釣り三昧で、泊ったのは目の前が海水浴場の「美浜」という民宿だったような気がします。夕飯には美味しい魚介類が食べきれないほど並んでいました。海辺の民宿は本当に贅沢な限りです。船盛の伊勢エビの頭を次の朝、お味噌汁に入れていただいてとても美味しかったのを覚えています。

 

 

 次の日は、「土肥金山」の見学をしたり、国道1号線沿いにある魚屋さんで魚を買ったりしながら帰りましたが、この魚屋さん売っていたオオアサリを焼いていただいた時の美味しさは驚きでした。行きは後ろで飲んで寝ていただけだったので、帰りは頑張って運転させてもらいました。

 

 何だか思い出話になってしまいました。先日は楽しかったです。また是非、続けましょう。本題は「暑い夏」でした。子供の頃は青い空に入道雲が沸き立って、セミが鳴いてこの時期の花が咲いていて、野イチゴがいたるところにあって、「暑い!暑い!」と言っている夏の時期がいちばん好きな季節でした。

 

 冬は冬で長野県でもこちらの東信地方はひたすら寒い日が続きます。一度雪が積もるとその後は「深々と寒い」という感じです。「地球温暖化」と言われる前は、氷河期に向っているという専門家の考えが多かったと思いますが、今よりまだ寒くなるのかと考えたら、「地球温暖化」で冬ももう少し気温が上がったら過ごしやすいのに、などと考えていた時期もありました。

 

 しかし、ここ最近の夏の暑さは冗談では済まない状態です。今年8月3日現在40℃を超えた観測地点は34ヶ所だということです。しかも、イランの南西部のオミディエという町では52.7℃を記録したということです。フランスやカザフスタン、ウズベキスタンでも44℃を超え、中国内陸部では49℃を超えたということです。 

 

 

 異常な暑さはアジアを広く覆ているということです。偏西風の蛇行にスーパーエルニーニョが原因だということです。最近天気予報で前線を伴わない低気圧で、寒冷渦という言葉を聞きますが、台風が東から西に向かって進むようなこともあって、今までの常識が通用しないような気象条件になっているということです。

 

 原子力発電はCO2を排出しないので、最も環境に優しいと言われていますが、それは全く別の話で確かに二酸化炭素は排出しませんが、原子炉の圧力容器の中で発生した熱で水を熱してその水蒸気でタービンを回して発電します。

 

 原発から出る熱のうち電気に変換されるのは約3分の1で、残りの3分の2は温排水として海に排出れます。日本の原発だけでも年間で数百億トンから数千億トンにもなるということです。この量は日本の主要な河川から海に流れ込む水量から比較しても無視できない量だということです。

 

 

                        8月24日「信濃毎日新聞」より

 フィンランドでは「オンカロ」と呼ばれる高レベル放射性廃棄物を地下430mに埋める最終処分場を世界で初めて操業するということです。一度核分裂を起こしたウランは安定した物質に戻るには、10万年かかると言われていますから、地下430mに埋めて10万年以上にわたり隔離するというものです。

 

 

 最近、「日本中で考えよう、地層処分」というCMをみますが、日本でも高レベル放射性廃棄物の処分場については、迷走しているようです。日本に限らず世界遺産に登録されないまでも、歴史的にも学術的にも価値のある遺跡に神社仏閣やお城のような、重要文化財、国宝などがたくさん残されています。

 

 何百年後、何千年後の方たちが「オンカロ」のような高レベル放射性廃棄物の処分場や、放置された原子力潜水艦に原子力空母、核ミサイル、事故を起こして放射線や汚染水を出し続けている原発、海底に浮遊しているマイクロプラスチックなど、この時代の人たちは何故こんな負の遺産ばかり残して行ったのだろうと言われてしまう気がします。

 

 また、AIデータセンターについて言えば、データセンターが集中している千葉県 印西市では、夏の日中の平均気温が30年前より約3℃上がっているそうです。アメリカ・ネバダ州の工業団地では、30年前に比べて夏の平均気温が6.2℃も上昇したということです。アメリカでは3000ものAIデータセンターがあって、さらに1500ヶ所の建設が計画されているということです。

 

  原発やAIデータセンターが温暖化と無関係ではないと思いますが、こちらの長野県でも2~3年後には夏の最高気温が40℃を超えるという予測があるようです。犬や猫を家の中に残したまま外出もできなくなってしまいます。

 

 東日本大震災の後、できるだけ節電を心がけて不要な外出はしないように生活した記憶がありますが、「節電、節電というテレビを先ずは消し」という標語に「良いこと言うな」と思わずクスッとした覚えがあります。そうは言ってもこの時代に自給自足の生活をしようと思っても、そう簡単なことではないと思います。

 

  

 ナマケモノにハイエナというと何故かマイナスイメージで引用されることが多い動物ですが、ナマケモノはとてもおとなしくてかわいい顔をしています。いつも木の上で生活していますが、排泄の時だけ木から地上に降りるということです。その周期は確か2週間に一回程度だったと思います。

 

 食事と排泄の時がいちばん外敵に狙われやすいので、食事はいつも木の上でしかもあまり激しい動きをしないように生活しているということです。草食動物なので木の葉を食べていますが、その量は1日に8グラム程度ということです。人間に例えたら1日におにぎり1個にも満たない量です。

 

 また、木の上では無駄な動きをしないことに徹底していて、体に苔が生えている仲間もいるということです。正に省エネの見本のような生き物ですが、食べることだけに関して言うとダイオウグソクムシは5年も何も食べないで生きていた個体がいたというから驚いてしまいます。

 

 ナマケモノやダイオウグソクムシとはいかないまでも、何でも湯水のように使う時代ではなくなった気がします。化石燃料も無限にあるわけではないし、食品ロスも勿体ないことです。AIも業種によっては当然、必要なものだと思いますが、自分たちなどは意識して使わないように心がけようと思っています。

 

 

 ハイエナは狩りはせず他の肉食動物のエサを横取りしたり、残り物をあさったりしているイメージで捉えがちですが、目、耳、鼻などすべてが優れている上に走るスピードも速くて時速60kmで獲物を捕獲します。

 

 知能も高いハイエナは他の肉食動物の餌を横取りしなくても食べるものに困ることはないと言います。お腹が空いている時は餌を横取りすることもあるようですが、ヒョウやらライオンでも同じように餌を横取りすることがあるようです。

 

 

 夜、玄関にセミの幼虫が来ていました。今年、大発生したマイマイガにすっかり丸坊主にされたクヌギの木は、枯れてしまうのではと思いましたが、きれいに葉が出てきました。毎年ゾロゾロ、カブトムシにクワガタがきていましたが、今年は全く見かけませんでした。この木の幹に移してあげると、無事、羽化したようです。

 

 

 

 エゾゼミの成虫が来ていることもあります。少し前まではニイニイゼミ、ヒグラシが多かったのですが、すっかり鳴き声を聞かなくなりました。今はエゾゼミ、ミンミンゼミ、アブラゼミが大合唱しています。朝、4時からズッキーニを箱詰めしていると、ウマオイが来ました。まだまだ暑いですが少し秋を感じるお客さんです。

死ぬまで山歩き「21」思い出⑥

 みなさんお元気でお過ごしでしょうか?フジの花に続いてアカシアの花の臭いがむせ返るほどの時期ですが、嫌な臭いではないですね。正しくはハリエンジュ、ニセアカシアなのですが、アカシアは黄色い花のミモザのことのようですが、日本でアカシアというとニセアカシアが一般的だと思います。

 

 

 中東情勢は未だに緊張状態が続いていますが、高市政権は産業に必要不可欠な石油化学製品の原料となるナフサについて「年を超えて継続できる量は確保できている」と言い張っていますが、カルビーはナフサを原料としたインクの調達が不安定なため包装パックの印刷を白黒化して、カゴメも白インクの入荷が不安定なためパッケージの透明部分を多くしたということです。

 

 しかもカルビーの対応に対して、官邸幹部は「売名行為だろう」と強調したということですが、いやいや驚きです!今の政治家というのは如何に生産現場を見ていないかがはっきりわかります。地元の塗装業界に建具、家具など建築関係の業界でも塗料、シンナー、接着剤が不足していて、既に一時帰休しているところもあります。

 

 高市氏は元総務大臣の頃の「政治的公平」解釈変更を示す内部文書(高市氏発言)を当時、立憲民主党の小西洋之議員に国会で追及されると「怪文書のたぐいだ」「捏造だ」と言い張った。かつて小西氏も所属していた放送政策部局のエース官僚3名の名前が作成者として記されていました。課長補佐が下書きをし、課長、局長がチェックをして一言一句間違いのないものとして作成されています。

 

 さらに、これらの文書は、総務省の最高幹部である、事務次官級の複数の幹部が安倍総理や高市大臣の見解等を報告するために使用されていました。つまり、超一級の正真正銘の行政文書だったわけです。小西氏に「捏造でなかったら議員辞職するか」と問われ、「結構だ」と啖呵を切ったが結局、議員辞職どころか大臣のまま居座りました。まだまだ虚偽の答弁を並べたらきりがないですが、国会でこのような答弁を平気でする方がこの国の代表なのですから恐ろしい限りです。

 

 ここ新潟県の火打山に登ったのも既に30年以上も前のことになります。信濃町から小谷村に向う林道の笹ヶ峰ダムの登山口を目指しました。まだ上信越自動車道もない頃でしたから、さて何時に家を出たのだろうか?全く覚えていません。

 

 

 9月の上旬だったと思います。秋晴れの最高の天気に恵まれた覚えがあります。

 

 浅間山の登山道を思い出すような「十二曲がり」です。つづら折りが続きます。

 

 

 登山道の途中から視界が開けると左手奥に火打山、右手奥に妙高山が見えてきました。地図もよく見ないで出かけて、今日は火打山、妙高山を縦走しよう。などと考えていましたが、途中からとても無理な計画だったことに気が付きました。

 

 火打山、妙高山どちらか一方でもかなりの工程ですから、今日は以前からの念願通り火打山に向うことにしました。途中、中学生のみなさんに行き会いました。休憩中にこちらに視線を向けてもらったので、「撮らせてもらいました」というと「撮ってくれてありがとう」と嬉しそうに答えてくれました。みんなもう立派な大人になっていると思います。

 

 ちょうどお昼時だったような気がします。合掌造りのようなかっこいい屋根の高谷池ヒュッテに着きました。一瞬、大河原ヒュッテかと錯覚しますが、ひょっとしたら同じ設計者なのかな?なんて思ってもみましたが、この辺りは新潟県と長野県の県境で豪雪地帯ですから、あの屋根の角度は大切だと思います。

 

 

 暖かいものもいただきたかったので山小屋でカップラーメンを買って、目の前に広がる湿原を見ながらお昼をいただきました。お腹もいっぱいになったら横になって一休みしたくなりましたが、火打山頂上まではまだまだ工程はあります。リュックサックを置いてカメラだけ持ってもう少し頑張ろう!

 

 

 

      高谷池ヒュッテ前には尾瀬のような高谷池の湿原が広がっています。

 

 

   高谷池ヒュッテからはしばし木道が続きますが、天狗の庭に着きました。

 

              雷鳥平に着くと火打山の山頂が迫ってきました。

 

 木道も終点になるとやや勾配も急になりますが、標高的に森林限界になりますから気持ちの良い登山道です。

 

 

 標高2,462m火打山 山頂に着きました。後ろは妙高山です。登山口から高谷池ヒュッテまでは秋晴れの好天でしたが、午後は曇りがちの天気でした。山頂から北には眼下に日本海が見えるはずですが、残念ながら雲に遮られていました。

 

 

 火打山は高谷池からなだらかに登りますが、妙高山は活火山で勾配がきつく、鎖場もあるということです。

 

 登山道の途中で行き会った植物たちです。かわいい鐘のような花はツルニンジンだと思います。

 

                             ソバナでしょうか?

 

                    こちらはタケシマランの実でしょうか?

 

            サンカヨウの実でしょうか?実の時期は始めて見ました。

 

            雷鳥平周辺にたくさん咲いていたのはイワショウブかな?

 

    トリカブトもけっこう種類が多いのですが、オクトリカブトだと思います。     

 

               賑やかに咲いているのはヒメシャジンでしょうか?

 

     しっかりピンボケですが、この時期の代表格ウメバチソウだと思います。

 先週、昼間は真夏のような日が続いていましたが、今週後半はすっかり曇りがちな天気になってしまいました。ここ数年の夏の暑さは年々加速しているような気がしますが、なんとAIを使って2分の動画を造ると、電子レンジを60分使ったのと同じ電力を消費するということです。しかもAIデータセンターから発生する熱量は半径10㎞にも及ぶということです。ブログのタイトルやカテゴリー、タグをAIに頼ってしまうこともありますが、今後はじっくり自分で考えようと思います。




 

あの街の思い出「17」童謡の町 中野市

 

 トランプ大統領は1月にベネズエラを攻撃してマドゥロ大統領を拘束。ミラノ・コルティナオリンピックが終わった途端にイスラエルと共に、イランを攻撃しました。この攻撃によって米軍のミサイルが小学校を直撃して、児童168人と教員14人もの罪のない命が犠牲になりました。

 

 3月の日米首脳会談の冒頭で高市首相は「世界に平和と繁栄をもたらせるのはドナルドだけだと思う」と発言。いま世界中を混乱させ罪のない方達を殺害している張本人に対してこの発言は、一国の代表として許される発言とは思えない。

 

 イランのアラグチ外相は「一方的に押し付けられた、違法な戦争」とコメントしましたが正にその通りで、アメリカは今にでも発射できる核兵器を幾らでも保有しているのに対して、「イランの核兵器開発は許されない」と、イランだけを非難する発言もまた一方的で矛盾しています。しかも、選挙公約に掲げていた食料品の消費税減税など口にもしなくなりました。

 

 

 こんな一方的な攻撃による惨事を目の当りにしても、今の日本は長射程ミサイルを配備して、敵基地攻撃を可能にしたり、殺傷能力のある武器を防衛装備品と称して、「救難、輸送、警戒、監視、掃海」などの非戦闘目的に限定して輸出を可能にするということですが、トレーサビリティでどこで廃棄されたかまで管理するとでもいうのでしょうか、輸出した武器がどこに流れて、何に使われるかなどわかったものではない!

 

 3月15日(日)通常総会が終わりました。ギリギリまで次の役員が見つからないまま頭を抱えていましたが、資料印刷の前日には何とか引き受けていただける方が見つかりました。どこの地区でも担い手がいなくて大変だと聞きます。力不足ですいませんでしたが、何とか2年間務めさせていただきました。

 しばらくはクタクタで何をするのも身が入らなくて困ったもんです。暖かくなってきたのでどこか出かけてみたいと思っていたのですが、以前から行ってみたいと思っていいた「童謡と唱歌のふるさと」と呼ばれる中野市に行くことにしました。

 

 

 須坂・長野東インターを降りて、先ずは「中山晋平記念館」に行ってみました。長野電鉄 延徳駅からわずか東に向かった長閑なところにあります。

 

 

 向かいはお寺さんです。ご住職さんアマチュア無線局ですかね?HFの八木アンテナが建っています。

 

 

  駐車場に着いた時は11時前です。さて入ろう!と思ったその時、時計の下のベル🔔が鳴りはじめました。11時の時報で「てるてる坊主」をこのベルが奏でています。たぶん時間によって曲が違うのだと思います。それにしてもハンドベルのようなきれいな音です。

 

 時計とベルのアーチを潜ると、右手には女の子のブロンズ像があります。手前にある操作盤のボタンを押すと「シャボン玉」の曲が流れます。野口雨情作詞 中山晋平作曲です。「シャボン玉」はとても悲しい歌詞ですが、中山晋平は敢えて明るいリズムの曲を作ったということでした。

 

 

 館内の展示品は撮影禁止ですが、展示室を先に見させていただいて右手のホールで、中山晋平の生涯を紹介した20分程度の映画を見させてもらいました。その後、女性の職員さんが中山晋平が中野尋常小学校 教員時代に使っていたオルガンで「シャボン玉」を弾いてくれました。

 

 その後、ステージに向って左手にはドイツ製のグランドピアノが置いてありますが、中山晋平 が東京の私邸で使っていたピアノで、中山晋平 本人が寄贈したものです。先ほどオルガンを弾いていただいた職員さんが、「カチーシャの唄」を弾いてくれました。

 

 

 お昼も近かったからか、この時間このホールにいたのは若い男女二人と自分の三人だけだったので、職員さんに色々話を聞いて記念館を出てすぐ裏手にある中山晋平の生家に行ってみました。

 

 

 

 レンガ敷きの歩道を歩いて行くと、「背くらべ」の歌碑にカチューシャをした女性の像があって、どちらもボタンを押したり、前に立つとセンサーが反応してその曲が流れるようになっています。

 

 音楽を聞きながら裏通りに出ると中山晋平の生家があります。時代を感じさせない大きな家です。手入れも行き届いています。

 

 

 次に向かったのは「日本土人形資料館」です。中野市街から東の高台にあります。所在地を確認して12時をまわっていたので、お腹が空きました。美味しいお蕎麦でもいただきたいと思います。また蕎麦かいって感じですが、午後もまだゆっくり見学したいので近くのセブンイレブンでおにぎりとパンですませました。

 

 

 展示室は4室あります。第1展示室は「奈良家中野人形」を常設展示、第2展示室は「西原家立ヶ花人形」を常設展示、第3展示室は土人形の元祖「伏見人形」をはじめ、全国の土人形が展示されています。第4展示室は鎌倉市在住の郷土玩具収集家・石山邦子氏から中野市に寄贈された全国各地の土鈴が展示されています。

 

 

 力強い中国武将「関羽」に、福を招いていただけそうな「招き大福」の笑顔が対照的です。

 

 

 干支の人形は表情がとても楽しい!

 

 

 

 毎年3月31日に開かれる「中野雛市」の土人形は、とても人気であっという間に売り切れてしまうそうです。

 

       

               オジサンご機嫌ですね!(似ている)

 

 

 

 

 

「日本土人形資料館」ですから、全国各地の土人形が展示されています。

 

 

 

 お土産の土人形も販売しています。また時間があれば絵付け体験もできます。こちらの「日本土人形資料館」は全館写真撮影ができます。

 

 

  次に向かったのは「高野辰之記念館」です。上信越道の豊田・飯山ICにほど近いところで、旧永田小学校の跡地に建てられています。

 

 

  落ち着いた雰囲気の木造建築です。受付でいきなりですが「ここも中野市ですか?」と聞いてしまいました。男性の職員さんが「合併して中野市になりました」ということでした。合併前は豊田村っだたはずですね。

 

 

 女性の職員さんに案内していただきました。こちらでも高野辰之の生涯を綴った映画を見ました。木造建築の屋内は手入れが行き届いていて、床も柱もピカピカです。この時間ここにいたのは自分だけで、何とも落ち着いた雰囲気で鑑賞させていただきました。

 

  記念館周辺には、高野辰之の生家や「朧月夜」の鐘がある真宝寺に、「故郷」の歌詞にある「かの川」のモデルと言われる「斑川」があります。「故郷」の曲を奏でる「ふるさと橋」遊歩道も整備されていて、「故郷」の原風景を散策できます。

 

 

 セブンイレブンに向う途中で、井賀屋酒造場の蔵元ショップをみつけました。

 

 

 早速寄ってみました。話好きな奥さんで、佐久の酒蔵も詳しくて色々話していただきました。せっかくなのでラベルのかわいい「中野土びな」を買って帰りました。1月に仕込んで3月に蔵出しされたばかりのお酒です。香りも飲み心地も新鮮な果物をいただいていうようで透明感のあるスッキリとした甘さが美味しい。

 

 向かいの通りで和菓子屋さんもみつけました。お餅にお赤飯、揚げまんじゅうが人気のようです。桜の香りの羊羹とカステラを組み合わせた「関山桜」と餡子いっぱいの茶通「望郷」が目にとまりました。

 

 中野市といえば童謡に土雛にバラも有名です。通称「バラ公園」と呼ばれる「一本木公園」に市立博物館のある「北信濃ふるさとの森文化公園」もあります。高社山に登ってみるのも良いと思います。

 



































あの街の思い出「16」長野市 大岡・生坂村

 

 

 

 

 

                                                  「信濃毎日新聞」より

 異例の衆議院議員選挙の結果は色々あると思います。結果は結果で重く受け止めなければいけないのですが、今後の予算委員会で総理大臣の説明責任は重大です。ミラノ・コルティナオリンピックの日本選手の活躍が素晴らしいですね。毎日感動しています。

 

 初出場で銅メダルを手にして大喜びの選手に、最後のオリンピックで銀メダルに悔し涙を流す選手、どちらの選手にとっても重い重いメダルだと思います。わずかの点差でメダルに届かなかった選手に選手同士の絆がとても印象に残りました。

 

 先日、「月に一日はだれでも自由に使える日があっても良いよな」などと、ぼそぼそ言ったら何だかみんな賛成の様子だった。それでは早速来月から何時にしようかということになって、予定を出し合うと2月14日ということになりました。

 

 それじゃ、どこ行こうか?っていうことで、色々行ってみたいところはありますが、長野市 大岡(旧大岡村)に行ってみることにしました。寒い日が続いていますがこの日昼間は気温も上がって良い天気になりました。

 青木村から修那羅峠を超えて筑北村ー麻績村と進みます。この道路は県道12号線で「丸子信州新線」と言います。旧丸子町の鹿教湯温泉から信州新町まで続いている県道ですが、長野市に入っても「丸子」という地名が付いているのは不思議な感じがします。また北アルプスがきれいに望めるので、「アルプス展望街道」とも呼ばれているようです。

 

 

 

 

 今日は冬型が緩んで快晴に恵まれましたから、突然展望が開けると右手は白馬三山から左手は常念岳まですっきり見えていました。

 

 麻績村から長野市 大岡に入りました。それにしても長閑なところです。

 すれ違う対向車も少なく、また峠に差しかかると左手に何やら見えてきました。駐車スペースがありましたから車を停めて降りてみました。しめ縄が張られた神聖な雰囲気を感じます。しめ縄の先の姿を見て思わず大声を出すところでした。

 

 今日の一番の目的の「芦ノ尻の道祖神」さまでした。毎年1月7日の道祖神祭りでは道祖神の石碑をしめ縄で飾り付け、集落に悪霊が入り込まないよう。一年間の無病息災や豊作を祈願して賑やかに行われるということです。

 

 1998年 諏訪大社の建御柱と共に長野冬季オリンピックの開会式にも登場したのを覚えている方も多いと思いますが、学術的にもその特異性が注目され国立民族学博物館、長野市立博物館、信州博にも展示された芦ノ尻の道祖神様は平成9年に長野県の無形民俗文化財に指定されました。

 

 作り手や年代によっても形は微妙に違いがあって、とても興味深い造形物です。ゆっくり眺めてお参りして次に向かいます。ニュースなどでは北アルプスがきれいに見える映像が紹介されますので、犀川より西の高台辺りあるのかな?などと勝手に思っていましたが、峠道の途中に突然現れたのには意外でした。

 

 

 北アルプスの展望と長閑な風景と「芦ノ尻の道祖神」さまをゆっくり拝見しました。さて、そろそろお昼時です。お腹も空いてきましたから道の駅 長野市大岡特産センターに行ってみましょう。

 

 左手に「19」という案内が出ていたので、左折したのですが道は細くてしかも日陰は雪がしっかり凍りついていて怖かった。「ポツンと一軒家」を思い出して心細くなってきましたが、自分の家だって同じようなところです。

 

 どうか対向車来ないでくれ!なんて思っていたら、一台だけ猟友会の方のジムニーにすれ違いました。今日は暖かいから圧雪の表面が溶けてツルツルです。側溝に落ちないよういハラハラしながら下ると犀川が見えてきて、やっと国道19号線に出ました。

 19号線を右折して犀川沿いに長野市方面に向かいます。児玉橋を渡るとしばらくして左手に道の駅 長野市大岡特産センターが見えてきました。

 すぐ後ろは犀川が流れています。対岸の岸壁は地層が現れています。いつの時代のものだろうか?たぶん古代の生き物や植物の化石が眠っていると思うと、気になって気になって仕方ないです。

                      移動図書館が停まっていました。

 

 特産センターの入り口にも藁の道祖神さまが見守ってくれています。お腹空いたし入って早速、盛り蕎麦をいただきました。どこに出かけてもお昼は蕎麦ばかり!ていうか、蕎麦しか知らねえんかい!っていう感じですが、地元のおばちゃんたちが造ってくれた手打ちのお蕎麦はしっかり大盛りで美味しかったです。

 隣の直売所でかわいい「どうそじん最中」をみつけました。アルプス展望公園に行ってみたかったので、レジのおばちゃんに聞いてみましたが、かなり戻るようなので帰りは松本から三才山峠で帰ろうと思っていたので今日は断念しました。

 国道19号線のこの辺りを走るのは初めてです。長野自動車道が開通する前は新潟・長野方面から関西方面に向かう流通の大動脈ともいえる国道だったと思いますが、今は車の台数も少なくて始めて見る景色が新鮮で楽しい。

 

 標識が大町市入ったり長野市に戻ったりしますが、生坂村に入りました。直ぐ左手の犀川の先に見えてきたのは東電の平ダムでした。19号線はみんなけっこうとばしていますが、急ぐ車には先を譲りましょう!

 生坂トンネルの手前を生坂村役場・道の駅「いくさかの郷」方面に右折します。しばらく走ると右手に道の駅が見えてきました。駐車場も売り場も広くてきれいな道の駅です。地元の農家の農産物をゆっくり見て回りました。

 

 

 買い物をして生坂村役場にい寄ってみました。道の駅でいただいたガイドマップの表紙の犀川がゆったりとアールしている景色は、たぶん村役場の裏辺りから京ヶ倉、大城山に向かうトレッキングコースからの展望だと思います。

 

 生坂ダムの上流には水鳥がたくさん泳いでいます。アウトドアも盛んで歴史的文化遺産も多いところですが、今日は少しくらい遅くなってもいいから、ゆっくり歩いてみれば良かったな、と後悔しています。人生は後悔ばかりですがブドウの栽培も盛んな村です。

 長和町の道の駅で一休みして帰りました。午前中は抜けるような青空で山々もきれいに見えていましたが、午後はすっかり曇りがちになって山々の展望も一変しました。また違った季節にゆっくり訪れてみたいと思いました。