8月下旬から各地で豪雨災害ばかりです。ネパールで発生した土石流災害では、既に1380人もの方が亡くなられて、行方不明者は5500人以上ということです。フィリピン、ベネズエラ、メキシコ、コロンビア、インドネシアでは、マグニチュード7以上の巨大地震が立て続けに発生しています。
熊本地震でも不自由な避難所で生活されている被災者も大勢いる訳ですが、日本は専守防衛政策と言って、今年3月に「スタンド・オフ・ミサイル」が熊本県と静岡県の駐屯地に配備されました。どうかそんな予算を被災地の支援に使ってほしいものだとつくづく思います。
こちらでは水害こそ起きてはいませんが、これだけ雨の日が続くと何をするにも気が滅入ってしまいます。長野県内でも稲刈りの季節なんですが、ほとんどの地域で全く進んでいないようです。雨が続くと稲は転んで、収穫が遅れると品質も落ちますから稲作農家の方々は気が気ではないと思います。

先々週、9月5日はみんなで「古代エジプト展」を見に行きたい。ということで娘と3人でけかけました。午前中、娘は水野美術館に行って、女房は「もんぜんプラザ」に習字の県展を見に行くということで、午前中はそれぞれ別行動にして、自分は久しぶりにゆっくり善光寺をお参りすることにしました。
最近、膝の調子も少し良くなって運動不足だから、ホクト文化ホールに車を停めて歩くことにしました。長野駅前で如是姫様に挨拶をして行きましょう。今日は「曇り時々雨」という予報だったので、はっきりしない天気だろうな、と思っていましたが、徐々に晴れ間が出てきました。

駅から末広町の信号を右に進んで、「かるかや山前」の信号を過ぎると直ぐに右手に善光寺 七福神巡りの最初の札所で、寿老人が祀られている「かるかや山 西光寺」が見えてきます。ビルとビルの間に近代的な山門が見事に調和しています。

次の交差点「新田町」を左に進むと、大黒天が祀られている2番目の札所、大国主神社がありますが、今日は立ち寄らずにひたすら参道を上って行きます。さらに参道を進むと左手のやや奥に福禄寿が祀られている3番目の札所、秋葉神社があります。
交差点に戻って参道を上がってすぐ左手が紫雲山 十念寺の参道になっていました。確かにこの参道の突き当りが十念寺ですが、秋葉神社と同じ敷地内にあって参道が別になっているというのが何とも楽しいです。権堂のアーケードのすぐ上辺りに弁財天が祀られている4番目の札所、往生院があるのですが、すっかり見落としました。

さらに参道を上るといよいよ善光寺も近くなってきます。大門の信号を左に進んで次の西町の交差点の左上に安養山 極楽院 西方寺が見えてきます。小林一茶が「散る花や 月入る方は 西方寺」と詠われたお寺ですが、善光寺の仮本堂としての役目と善光寺の仏像の避難所にもなっています。

善光寺 御開帳の年には、こちらの二尊極楽堂にも回向柱が建てられます。この回向柱はチベット仏教さまの小指と繋がっていて「命の回向柱」と言われていますが、朱色に塗られたとてもきれいな回向柱で、大仏様の命を分けていただいて健康で長生きができるということです。
善光寺をお参りする際には必ず併せてお参りしたいお寺ですが、ダライ・ラマ14世がビッグハットで公演を終えて、善光寺に参拝する際に立ち寄られてチベット大仏様に魂となる胎内仏を入れる開眼法要が行われたことでも有名です。

西方寺をお参りして参道をさらに上ると、右手に布袋様が祀られている5番目の札所「THE FUJIYA GOHONJIN」があります。もちろんお寺でも神社でもなくて、老舗のホテルですが、お参りも兼ねて一度でいいから夕食でもいただいてみたい気もします。
すぐ上は、善光寺の交差点です。この交差点を右に進むと恵比寿様が祀られている6番目の札所「西宮神社」があります。有名な「えびす講花火大会」はこちらの神社のお祭りえびす講の期間中に行われるということです。

仲見世通りに入って左手に延命地蔵尊ががありますが、300年前頃までは善光寺如来堂(今の本堂)はこの場所にありました。記録によると過去に11回の火災に遭っているようです。今の場所に移ってからは火災に遭ったことはないということです。

延命地蔵尊の向かいの通りの先には善光寺 世尊院 釈迦堂があります。ご本尊は釈迦涅槃像です。善光寺御開帳の年には釈迦堂の前にも回向柱が立てられます。世尊院は現世のお寺で、善光寺は来世のお寺だということですから、善光寺をお参りするときは世尊院も必ずお参りしたいと思います。
世尊院はいつ見てもきれいなお寺さんだと思います。また、ご本尊様とは別に、毘沙門天が祀られていて、善光寺 七福神巡り最後の札所になります。のぼり旗に「毘」の文字を入れて戦国の世を駆け巡った上杉謙信は、毘沙門天の熱狂的な信者で知られています。

世尊院のすぐ上には宿坊 蓮華院があります。こちらのご本尊は、かつて戸隠 九頭龍社のご本尊様の「うがはっぴ弁財天」です。戸隠奥社の隣にある九頭龍社のご本尊は九頭龍大神で「アマノタジカラノミコト」が戸隠に祀られる前からこの山を守っていた神様なので、天岩戸伝説には登場しないということです。
その名の通り頭が九つある龍の姿をしていますから、「ヤマタノオロチ」もタジタジだと思います。善光寺参道と並行して東にあるこの通りにも宿坊がたくさんあります。息子が小学校5年の社会科見学で、宿坊でいただいたお昼の精進料理に感動していたのを思い出します。

こちらは山道沿いの宿坊ですが、どの宿坊を見ても何とも立派な建物です。そして宿坊ごとにそれぞれのご本尊様が安置されているのも興味深いです。

今日は本当にいい天気になりました。六地蔵様に濡れ仏様も青空に映えます。帽子を忘れたのは大きな失敗です。信号待ちでは日陰に入っていましたが、仲見世通りからは太陽も真上辺りにあって、直射日光を浴びるので頭の皮膚が熱い・・・というより痛い!と感じました。

大香炉の僅かに手前左手に親鸞聖人立像があります。本堂をお参りする前にいつもお参りします。親鸞聖人は京都から越後に流罪になって、流罪が解けて東国に向う途中で善光寺に百日間滞在したと言われています。その年代からしても若い姿の親鸞聖人だと思います。

今日は幸い参拝者も多くはないので、ゆっくり本堂をお参りさせていただきました。お昼時は過ぎましたが混雑は避けられた気がします。尾張屋でお蕎麦をいただきました。善光寺界隈はどちらのお店に入っても美味しいのは嬉しいです。
親鸞聖人が滞在中に素手で彫られたという「爪彫如来像」に行ってみたいと思っていましたが、何時行ってもたどり着けないのでお昼をいただきながら、ゆっくり調べてみました。本堂より西の奥まったところに小さなお堂がありました。
この爪彫如来さまは、目の病気に効くと言われています。鉄平石のような平たい石に見事に阿弥陀如来像が浮かび上がっていますが、お堂の中は薄暗いうえに扉は金網で覆われていますから、表情までははっきりわかりませんでした。

娘からLINEが入って、「今から県立美術館通に向かいます」ということだったので、自分もゆっくりそちらに向かいましたが、信号待ちをしている時から人が多くて、チケット売り場は長蛇の列でした。

たくさんの貴重な出土品が展示されていますが、なかなかゆっくり見れる感じではありませんでした。猫や犬はどの時代でも人の暮らしと共に大切のされていたのがわかります。日本でも弥生時代に犬の埴輪があったり、縄文時代にはネコ型の出土品があったりしますから、どこの国でもかわいがられてのだと思います。
人間として生まれたということは、年末ジャンボ、サマージャンボ宝くじの1等に相当するものに100回続けて当たったことより運が良いといいます。犬・猫に牛に豚などの哺乳類に生まれる確率はもっと低いことになりますから、人間どうしはもちろんですが生き物を大切にしないといけないですね。

ピタミッドを構成している実物の画像が壁に貼られていましたが、重機もない時代にあの面積に、あの高さまでどうやって積み上げたのでしょうか?全く不思議なことばかりですが、食事は何と、かなり高カロリーのパンが配給制で食べられていたし、ビールも飲んでいたということです。
先月下旬から雨模様の日が続いていますから、この日はとてもついている一日だったと思います。いつも同じような参拝の順路ですが、善光寺界隈はいつ行っても新しい神仏に出会える気がします。次回は善光寺資料館もゆっくり見学したいと思います。