satoyamanekokunのブログ

猫たち、お酒、山に虫、神社仏閣、全くまとまりのないブログですいません。

死ぬまで山歩き「21」思い出⑥

 みなさんお元気でお過ごしでしょうか?フジの花に続いてアカシアの花の臭いがむせ返るほどの時期ですが、嫌な臭いではないですね。正しくはハリエンジュ、ニセアカシアなのですが、アカシアは黄色い花のミモザのことのようですが、日本でアカシアというとニセアカシアが一般的だと思います。

 

 

 中東情勢は未だに緊張状態が続いていますが、高市政権は産業に必要不可欠な石油化学製品の原料となるナフサについて「年を超えて継続できる量は確保できている」と言い張っていますが、カルビーはナフサを原料としたインクの調達が不安定なため包装パックの印刷を白黒化して、カゴメも白インクの入荷が不安定なためパッケージの透明部分を多くしたということです。

 

 しかもカルビーの対応に対して、官邸幹部は「売名行為だろう」と強調したということですが、いやいや驚きです!今の政治家というのは如何に生産現場を見ていないかがはっきりわかります。地元の塗装業界に建具、家具など建築関係の業界でも塗料、シンナー、接着剤が不足していて、既に一時帰休しているところもあります。

 

 高市氏は元総務大臣の頃の「政治的公平」解釈変更を示す内部文書(高市氏発言)を当時、立憲民主党の小西洋之議員に国会で追及されると「怪文書のたぐいだ」「捏造だ」と言い張った。かつて小西氏も所属していた放送政策部局のエース官僚3名の名前が作成者として記されていました。課長補佐が下書きをし、課長、局長がチェックをして一言一句間違いのないものとして作成されています。

 

 さらに、これらの文書は、総務省の最高幹部である、事務次官級の複数の幹部が安倍総理や高市大臣の見解等を報告するために使用されていました。つまり、超一級の正真正銘の行政文書だったわけです。小西氏に「捏造でなかったら議員辞職するか」と問われ、「結構だ」と啖呵を切ったが結局、議員辞職どころか大臣のまま居座りました。まだまだ虚偽の答弁を並べたらきりがないですが、国会でこのような答弁を平気でする方がこの国の代表なのですから恐ろしい限りです。

 

 ここ新潟県の火打山に登ったのも既に30年以上も前のことになります。信濃町から小谷村に向う林道の笹ヶ峰ダムの登山口を目指しました。まだ上信越自動車道もない頃でしたから、さて何時に家を出たのだろうか?全く覚えていません。

 

 

 9月の上旬だったと思います。秋晴れの最高の天気に恵まれた覚えがあります。

 

 浅間山の登山道を思い出すような「十二曲がり」です。つづら折りが続きます。

 

 

 登山道の途中から視界が開けると左手奥に火打山、右手奥に妙高山が見えてきました。地図もよく見ないで出かけて、今日は火打山、妙高山を縦走しよう。などと考えていましたが、途中からとても無理な計画だったことに気が付きました。

 

 火打山、妙高山どちらか一方でもかなりの工程ですから、今日は以前からの念願通り火打山に向うことにしました。途中、中学生のみなさんに行き会いました。休憩中にこちらに視線を向けてもらったので、「撮らせてもらいました」というと「撮ってくれてありがとう」と嬉しそうに答えてくれました。みんなもう立派な大人になっていると思います。

 

 ちょうどお昼時だったような気がします。合掌造りのようなかっこいい屋根の高谷池ヒュッテに着きました。一瞬、大河原ヒュッテかと錯覚しますが、ひょっとしたら同じ設計者なのかな?なんて思ってもみましたが、この辺りは新潟県と長野県の県境で豪雪地帯ですから、あの屋根の角度は大切だと思います。

 

 

 暖かいものもいただきたかったので山小屋でカップラーメンを買って、目の前に広がる湿原を見ながらお昼をいただきました。お腹もいっぱいになったら横になって一休みしたくなりましたが、火打山頂上まではまだまだ工程はあります。リュックサックを置いてカメラだけ持ってもう少し頑張ろう!

 

 

 

      高谷池ヒュッテ前には尾瀬のような高谷池の湿原が広がっています。

 

 

   高谷池ヒュッテからはしばし木道が続きますが、天狗の庭に着きました。

 

              雷鳥平に着くと火打山の山頂が迫ってきました。

 

 木道も終点になるとやや勾配も急になりますが、標高的に森林限界になりますから気持ちの良い登山道です。

 

 

 標高2,462m火打山 山頂に着きました。後ろは妙高山です。登山口から高谷池ヒュッテまでは秋晴れの好天でしたが、午後は曇りがちの天気でした。山頂から北には眼下に日本海が見えるはずですが、残念ながら雲に遮られていました。

 

 

 火打山は高谷池からなだらかに登りますが、妙高山は活火山で勾配がきつく、鎖場もあるということです。

 

 登山道の途中で行き会った植物たちです。かわいい鐘のような花はツルニンジンだと思います。

 

                             ソバナでしょうか?

 

                    こちらはタケシマランの実でしょうか?

 

            サンカヨウの実でしょうか?実の時期は始めて見ました。

 

            雷鳥平周辺にたくさん咲いていたのはイワショウブかな?

 

    トリカブトもけっこう種類が多いのですが、オクトリカブトだと思います。     

 

               賑やかに咲いているのはヒメシャジンでしょうか?

 

     しっかりピンボケですが、この時期の代表格ウメバチソウだと思います。

 先週、昼間は真夏のような日が続いていましたが、今週後半はすっかり曇りがちな天気になってしまいました。ここ数年の夏の暑さは年々加速しているような気がしますが、なんとAIを使って2分の動画を造ると、電子レンジを60分使ったのと同じ電力を消費するということです。しかもAIデータセンターから発生する熱量は半径10㎞にも及ぶということです。ブログのタイトルやカテゴリー、タグをAIに頼ってしまうこともありますが、今後はじっくり自分で考えようと思います。




 

あの街の思い出「17」童謡の町 中野市

 

 トランプ大統領は1月にベネズエラを攻撃してマドゥロ大統領を拘束。ミラノ・コルティナオリンピックが終わった途端にイスラエルと共に、イランを攻撃しました。この攻撃によって米軍のミサイルが小学校を直撃して、児童168人と教員14人もの罪のない命が犠牲になりました。

 

 3月の日米首脳会談の冒頭で高市首相は「世界に平和と繁栄をもたらせるのはドナルドだけだと思う」と発言。いま世界中を混乱させ罪のない方達を殺害している張本人に対してこの発言は、一国の代表として許される発言とは思えない。

 

 イランのアラグチ外相は「一方的に押し付けられた、違法な戦争」とコメントしましたが正にその通りで、アメリカは今にでも発射できる核兵器を幾らでも保有しているのに対して、「イランの核兵器開発は許されない」と、イランだけを非難する発言もまた一方的で矛盾しています。しかも、選挙公約に掲げていた食料品の消費税減税など口にもしなくなりました。

 

 

 こんな一方的な攻撃による惨事を目の当りにしても、今の日本は長射程ミサイルを配備して、敵基地攻撃を可能にしたり、殺傷能力のある武器を防衛装備品と称して、「救難、輸送、警戒、監視、掃海」などの非戦闘目的に限定して輸出を可能にするということですが、トレーサビリティでどこで廃棄されたかまで管理するとでもいうのでしょうか、輸出した武器がどこに流れて、何に使われるかなどわかったものではない!

 

 3月15日(日)通常総会が終わりました。ギリギリまで次の役員が見つからないまま頭を抱えていましたが、資料印刷の前日には何とか引き受けていただける方が見つかりました。どこの地区でも担い手がいなくて大変だと聞きます。力不足ですいませんでしたが、何とか2年間務めさせていただきました。

 しばらくはクタクタで何をするのも身が入らなくて困ったもんです。暖かくなってきたのでどこか出かけてみたいと思っていたのですが、以前から行ってみたいと思っていいた「童謡と唱歌のふるさと」と呼ばれる中野市に行くことにしました。

 

 

 須坂・長野東インターを降りて、先ずは「中山晋平記念館」に行ってみました。長野電鉄 延徳駅からわずか東に向かった長閑なところにあります。

 

 

 向かいはお寺さんです。ご住職さんアマチュア無線局ですかね?HFの八木アンテナが建っています。

 

 

  駐車場に着いた時は11時前です。さて入ろう!と思ったその時、時計の下のベル🔔が鳴りはじめました。11時の時報で「てるてる坊主」をこのベルが奏でています。たぶん時間によって曲が違うのだと思います。それにしてもハンドベルのようなきれいな音です。

 

 時計とベルのアーチを潜ると、右手には女の子のブロンズ像があります。手前にある操作盤のボタンを押すと「シャボン玉」の曲が流れます。野口雨情作詞 中山晋平作曲です。「シャボン玉」はとても悲しい歌詞ですが、中山晋平は敢えて明るいリズムの曲を作ったということでした。

 

 

 館内の展示品は撮影禁止ですが、展示室を先に見させていただいて右手のホールで、中山晋平の生涯を紹介した20分程度の映画を見させてもらいました。その後、女性の職員さんが中山晋平が中野尋常小学校 教員時代に使っていたオルガンで「シャボン玉」を弾いてくれました。

 

 その後、ステージに向って左手にはドイツ製のグランドピアノが置いてありますが、中山晋平 が東京の私邸で使っていたピアノで、中山晋平 本人が寄贈したものです。先ほどオルガンを弾いていただいた職員さんが、「カチーシャの唄」を弾いてくれました。

 

 

 お昼も近かったからか、この時間このホールにいたのは若い男女二人と自分の三人だけだったので、職員さんに色々話を聞いて記念館を出てすぐ裏手にある中山晋平の生家に行ってみました。

 

 

 

 レンガ敷きの歩道を歩いて行くと、「背くらべ」の歌碑にカチューシャをした女性の像があって、どちらもボタンを押したり、前に立つとセンサーが反応してその曲が流れるようになっています。

 

 音楽を聞きながら裏通りに出ると中山晋平の生家があります。時代を感じさせない大きな家です。手入れも行き届いています。

 

 

 次に向かったのは「日本土人形資料館」です。中野市街から東の高台にあります。所在地を確認して12時をまわっていたので、お腹が空きました。美味しいお蕎麦でもいただきたいと思います。また蕎麦かいって感じですが、午後もまだゆっくり見学したいので近くのセブンイレブンでおにぎりとパンですませました。

 

 

 展示室は4室あります。第1展示室は「奈良家中野人形」を常設展示、第2展示室は「西原家立ヶ花人形」を常設展示、第3展示室は土人形の元祖「伏見人形」をはじめ、全国の土人形が展示されています。第4展示室は鎌倉市在住の郷土玩具収集家・石山邦子氏から中野市に寄贈された全国各地の土鈴が展示されています。

 

 

 力強い中国武将「関羽」に、福を招いていただけそうな「招き大福」の笑顔が対照的です。

 

 

 干支の人形は表情がとても楽しい!

 

 

 

 毎年3月31日に開かれる「中野雛市」の土人形は、とても人気であっという間に売り切れてしまうそうです。

 

       

               オジサンご機嫌ですね!(似ている)

 

 

 

 

 

「日本土人形資料館」ですから、全国各地の土人形が展示されています。

 

 

 

 お土産の土人形も販売しています。また時間があれば絵付け体験もできます。こちらの「日本土人形資料館」は全館写真撮影ができます。

 

 

  次に向かったのは「高野辰之記念館」です。上信越道の豊田・飯山ICにほど近いところで、旧永田小学校の跡地に建てられています。

 

 

  落ち着いた雰囲気の木造建築です。受付でいきなりですが「ここも中野市ですか?」と聞いてしまいました。男性の職員さんが「合併して中野市になりました」ということでした。合併前は豊田村っだたはずですね。

 

 

 女性の職員さんに案内していただきました。こちらでも高野辰之の生涯を綴った映画を見ました。木造建築の屋内は手入れが行き届いていて、床も柱もピカピカです。この時間ここにいたのは自分だけで、何とも落ち着いた雰囲気で鑑賞させていただきました。

 

  記念館周辺には、高野辰之の生家や「朧月夜」の鐘がある真宝寺に、「故郷」の歌詞にある「かの川」のモデルと言われる「斑川」があります。「故郷」の曲を奏でる「ふるさと橋」遊歩道も整備されていて、「故郷」の原風景を散策できます。

 

 

 セブンイレブンに向う途中で、井賀屋酒造場の蔵元ショップをみつけました。

 

 

 早速寄ってみました。話好きな奥さんで、佐久の酒蔵も詳しくて色々話していただきました。せっかくなのでラベルのかわいい「中野土びな」を買って帰りました。1月に仕込んで3月に蔵出しされたばかりのお酒です。香りも飲み心地も新鮮な果物をいただいていうようで透明感のあるスッキリとした甘さが美味しい。

 

 向かいの通りで和菓子屋さんもみつけました。お餅にお赤飯、揚げまんじゅうが人気のようです。桜の香りの羊羹とカステラを組み合わせた「関山桜」と餡子いっぱいの茶通「望郷」が目にとまりました。

 

 中野市といえば童謡に土雛にバラも有名です。通称「バラ公園」と呼ばれる「一本木公園」に市立博物館のある「北信濃ふるさとの森文化公園」もあります。高社山に登ってみるのも良いと思います。

 



































あの街の思い出「16」長野市 大岡・生坂村

 

 

 

 

 

                                                  「信濃毎日新聞」より

 異例の衆議院議員選挙の結果は色々あると思います。結果は結果で重く受け止めなければいけないのですが、今後の予算委員会で総理大臣の説明責任は重大です。ミラノ・コルティナオリンピックの日本選手の活躍が素晴らしいですね。毎日感動しています。

 

 初出場で銅メダルを手にして大喜びの選手に、最後のオリンピックで銀メダルに悔し涙を流す選手、どちらの選手にとっても重い重いメダルだと思います。わずかの点差でメダルに届かなかった選手に選手同士の絆がとても印象に残りました。

 

 先日、「月に一日はだれでも自由に使える日があっても良いよな」などと、ぼそぼそ言ったら何だかみんな賛成の様子だった。それでは早速来月から何時にしようかということになって、予定を出し合うと2月14日ということになりました。

 

 それじゃ、どこ行こうか?っていうことで、色々行ってみたいところはありますが、長野市 大岡(旧大岡村)に行ってみることにしました。寒い日が続いていますがこの日昼間は気温も上がって良い天気になりました。

 青木村から修那羅峠を超えて筑北村ー麻績村と進みます。この道路は県道12号線で「丸子信州新線」と言います。旧丸子町の鹿教湯温泉から信州新町まで続いている県道ですが、長野市に入っても「丸子」という地名が付いているのは不思議な感じがします。また北アルプスがきれいに望めるので、「アルプス展望街道」とも呼ばれているようです。

 

 

 

 

 今日は冬型が緩んで快晴に恵まれましたから、突然展望が開けると右手は白馬三山から左手は常念岳まですっきり見えていました。

 

 麻績村から長野市 大岡に入りました。それにしても長閑なところです。

 すれ違う対向車も少なく、また峠に差しかかると左手に何やら見えてきました。駐車スペースがありましたから車を停めて降りてみました。しめ縄が張られた神聖な雰囲気を感じます。しめ縄の先の姿を見て思わず大声を出すところでした。

 

 今日の一番の目的の「芦ノ尻の道祖神」さまでした。毎年1月7日の道祖神祭りでは道祖神の石碑をしめ縄で飾り付け、集落に悪霊が入り込まないよう。一年間の無病息災や豊作を祈願して賑やかに行われるということです。

 

 1998年 諏訪大社の建御柱と共に長野冬季オリンピックの開会式にも登場したのを覚えている方も多いと思いますが、学術的にもその特異性が注目され国立民族学博物館、長野市立博物館、信州博にも展示された芦ノ尻の道祖神様は平成9年に長野県の無形民俗文化財に指定されました。

 

 作り手や年代によっても形は微妙に違いがあって、とても興味深い造形物です。ゆっくり眺めてお参りして次に向かいます。ニュースなどでは北アルプスがきれいに見える映像が紹介されますので、犀川より西の高台辺りあるのかな?などと勝手に思っていましたが、峠道の途中に突然現れたのには意外でした。

 

 

 北アルプスの展望と長閑な風景と「芦ノ尻の道祖神」さまをゆっくり拝見しました。さて、そろそろお昼時です。お腹も空いてきましたから道の駅 長野市大岡特産センターに行ってみましょう。

 

 左手に「19」という案内が出ていたので、左折したのですが道は細くてしかも日陰は雪がしっかり凍りついていて怖かった。「ポツンと一軒家」を思い出して心細くなってきましたが、自分の家だって同じようなところです。

 

 どうか対向車来ないでくれ!なんて思っていたら、一台だけ猟友会の方のジムニーにすれ違いました。今日は暖かいから圧雪の表面が溶けてツルツルです。側溝に落ちないよういハラハラしながら下ると犀川が見えてきて、やっと国道19号線に出ました。

 19号線を右折して犀川沿いに長野市方面に向かいます。児玉橋を渡るとしばらくして左手に道の駅 長野市大岡特産センターが見えてきました。

 すぐ後ろは犀川が流れています。対岸の岸壁は地層が現れています。いつの時代のものだろうか?たぶん古代の生き物や植物の化石が眠っていると思うと、気になって気になって仕方ないです。

                      移動図書館が停まっていました。

 

 特産センターの入り口にも藁の道祖神さまが見守ってくれています。お腹空いたし入って早速、盛り蕎麦をいただきました。どこに出かけてもお昼は蕎麦ばかり!ていうか、蕎麦しか知らねえんかい!っていう感じですが、地元のおばちゃんたちが造ってくれた手打ちのお蕎麦はしっかり大盛りで美味しかったです。

 隣の直売所でかわいい「どうそじん最中」をみつけました。アルプス展望公園に行ってみたかったので、レジのおばちゃんに聞いてみましたが、かなり戻るようなので帰りは松本から三才山峠で帰ろうと思っていたので今日は断念しました。

 国道19号線のこの辺りを走るのは初めてです。長野自動車道が開通する前は新潟・長野方面から関西方面に向かう流通の大動脈ともいえる国道だったと思いますが、今は車の台数も少なくて始めて見る景色が新鮮で楽しい。

 

 標識が大町市入ったり長野市に戻ったりしますが、生坂村に入りました。直ぐ左手の犀川の先に見えてきたのは東電の平ダムでした。19号線はみんなけっこうとばしていますが、急ぐ車には先を譲りましょう!

 生坂トンネルの手前を生坂村役場・道の駅「いくさかの郷」方面に右折します。しばらく走ると右手に道の駅が見えてきました。駐車場も売り場も広くてきれいな道の駅です。地元の農家の農産物をゆっくり見て回りました。

 

 

 買い物をして生坂村役場にい寄ってみました。道の駅でいただいたガイドマップの表紙の犀川がゆったりとアールしている景色は、たぶん村役場の裏辺りから京ヶ倉、大城山に向かうトレッキングコースからの展望だと思います。

 

 生坂ダムの上流には水鳥がたくさん泳いでいます。アウトドアも盛んで歴史的文化遺産も多いところですが、今日は少しくらい遅くなってもいいから、ゆっくり歩いてみれば良かったな、と後悔しています。人生は後悔ばかりですがブドウの栽培も盛んな村です。

 長和町の道の駅で一休みして帰りました。午前中は抜けるような青空で山々もきれいに見えていましたが、午後はすっかり曇りがちになって山々の展望も一変しました。また違った季節にゆっくり訪れてみたいと思いました。

 

衆議院の解散について

 この記事を書き始めた今日は既に「大寒」です。挨拶が遅くなってしまいましたが、本年もよろしくお願い申し上げます。昨日19日(月)高市内閣は衆議院を解散する決意が表明されました。

 

 衆議院の解散は内閣総理大臣の専権事項と言って、いまでは一種の「脅し」のような使われ方がされていますが、実は憲法のどこにも解散の専権を定める条文などないということです。国民の代表として選出された国会議員としての資格を失わせる重大な行為だから、憲法は首相の意のままに衆議院を解散できる権限を与えてはいない。

 

 憲法7条に天皇の国事行為の一つに衆議院の解散を挙げる。その助言と承認をする内閣に実質的な決定権がある。と記されていて、更に69条では衆議院が内閣不信任を決議した場合、衆議院が解散されなければ、内閣は総辞職しなければならないと定められている。過去には失職した議員が訴えを起こして裁判になった事例もありますが、国会に対する強力な権限の行使が内閣総理大臣の独断で行われて良い筈はない。

 

 昨年の総裁選で長い間政治空白のまま、就任したと思えば「働いて働いて働いて働いて・・・・・」と言っていたが、果たして何をしただろうか?ましてやついこの間までは「物価高対策が最優先課題、解散など考えている暇はない」と言っていたばかりです。

 

 こういうドタバタ劇の裏には、必ず良くないことが隠れているはずです。内閣閣僚の方々にしても国会議員の資格を失うわけだから喜んではいられない筈です。裏金事件はもちろんですが、同じようにうやむやにしてきた統一教会の問題だろうと思います。

 

 選挙公約では「食料品の消費税を2年間廃止する」ということですが、選挙だからといって「コマセ釣り」の撒き餌さのようなことをしなくても、そういう内容こそ今国会でどのように減税するか?財源をどう確保するか?などを審議すればいいわけです。何れにしても、今回の解散総選挙の内閣に対する批判と不満は、日に日に大きくなっています。

 

 

 

 

      

   

        

 

        


                

 受験生は今後の人生に関わる大切な時期です。必死で受験勉強されている最中だと思います。選挙に無関心でもいられない方も多いはずですが、住宅街では大きな音を出さないような気配りをしてあげましょう!各市町村役場に選挙管理委員会も大混乱しています。

 

 我々自治会も年度末に向けて、新役員の選出やら、総会の準備やらいちばん大変な時期です。しかも600億円もの税金を使って、この時期にやる必要性が果たしてあるのだろうか?この解散に反対の国会議員の皆さんは、是非とも23日の予算委員会初日にどうかこの国会を開くことを強く要望してほしいものです。

 

 今回は裏金議員も公認候補として擁立するということです。「禊は済んだ」というような解釈が公然と言われていますが、この問題はあきらかな組織犯罪なので法の下に処罰を受けなくてはいけないです。過去のロッキード事件リクルート事件よりはるかに悪質な犯罪です。ましてや国政選挙に立候補できるような立場ではない筈です。

 

 

 色々ありますが、正月2日は上田城跡の中の真田神社に初詣に行きました。「絶対墜ちない」ということですから、受験生に大人気の神社です。かわいいおみくじがいく種類もあって、干支のおみくじで酉が気になって仕方がない。これも何かの「巡りあわせ」などと勝手に解釈して開いてみると「大吉」でした。但し、自分の干支ではないので怪しくもある。

 

 

 お昼は「やぐら亭」でお蕎麦をいただきました。いつもならばざる蕎麦か盛り蕎麦なのですが、外で待っていたので体も冷えていたから、かき揚げ天ぷらとかけ蕎麦にしました。このかき揚げが大きくて薄くてパリパリで美味しかったです。

 

 

 お腹いっぱいで、暖かくなりました。みんなで歩いてアリオまで行きました。アリオの中にもかわいい神社があります。ここは四阿流尾神社(あずまやりゅうおじんじゃ)略してアリオ神社と呼ばれています。こちらもお詣りして見て回ります。

 

 この場所は以前、日本たばこ産業の跡地になります。食品売り場がロピアに変わってはじめてきました。何だか迷路のようになっていて商品をみつけにくい気がします。お酒のコーナーも以前は地元上田市のお酒に、県内各地のお酒があって楽しかったのですが、地元のお酒はあまり並んでいませんでした。

 

 「くまざわ書店」は相変わらず読んでみたい書籍が並んでいいました。

 

 

 

 本屋さんに行くと読みたい小説がいっぱいです。年度末に向けて嫌でもパソコンに向かう時間が多くなるので、Facebookもあまり開くことも少なくなって、時間さえあれば本が読みたいし、ブログの更新も暫くいいかな!なんて思っていたのですが、突然の衆議院解散と山上徹也被告の最高裁の判決については、納得がいかないことばかりなので投稿してみました。

 

                       1月22日「信濃毎日新聞」より

 すでに21日(水)山上徹也被告の最高裁の判決で無期懲役が言い渡されました。安倍昭恵さんは「被告は夫の命を奪い去った罪を償っていただきたい」とコメントがありましたが、「森友学園」に関する文書改ざんをめぐり、自殺した近畿財務局の赤木俊夫さんの奥さん雅子さんの気持ちを考えたことはあるだろうか?

 

 この根深い問題に「無期懲役」という重い判決なわけですが、政治家と統一教会の癒着については何の問題もないことになってしまうのだろうか?我々国民にとっては国会議員でしかもその中枢的立場の方たちがこういう宗教と深くつながっていることの方がさらに恐ろしい問題です。この判決はこの事件のすべてを山上徹也被告に背負わせて、これで終わりにしようとしている気がしてならない。

 

 先週後半から今週火曜日くらいまでは、昼間は春を思わせるような陽気でしたが、今週後半は南極や北極に表れる「極渦」と呼ばれる大きな低気圧が、オホーツク海辺りにも出来ているということです。また例年より早く花粉の飛散が始まっていて、花粉の量も多いということのようです。風邪ひかないようにこの寒さを乗り切りましょう。

 

 

 

 

死ぬまで山歩き「20」思い出⑤

 

 

 今年もすっかり暮れようとしています。娘の作ったクリスマスリースを玄関に飾りました。最近は11月のうちから鏡餅がスーパーの店頭に並んでいたり、色々なものが早くて気忙しさを感じます。

 

 そのわりには、お正月は1月15日までは「松の内」と言いましたが、最近は「七草」までという感覚が定着してきたような気がします。そのうち「三が日」までになって、更には「元旦」だけになってしまいそうな気がします。

 

 先月やっと馬鈴薯を掘ったのですが、遅く掘ったせいか肌がざらついていて、何とも美しくないけれど驚くほどたくさん採れて、しかも美味しい。土寄せと草かきを1回した程度で、ほとんど放っておいて美味しいのは、土と標高と品種のおかげです。

 

 

 

 

 五度目の北アルプスの山行でしたが、後立山連峰の杓子岳から唐松岳までを縦走しました。雪渓は二度目ですが、前回とは違って真夏だったので、気持ちよく雪渓の上を歩いた覚えはありますが、写真は撮らなかったようです。

 

 雪渓も終わるころ、突然「葱平は天気がいいです」というアナウンスが聞こえましたが、たぶん山岳救助隊の方達だと思います。自分たちが葱平に着いた頃は、すっかり濃い霧の中でしたが、この時期の花はたくさん咲いていました。

 

 

 

 

 白馬岳頂上宿舎で一休みして、杓子岳、鑓ヶ岳方面に向かいましたが、雷が鳴り始めました。何だか下の方から聞こえます。雨も降り始めてしまいましたが、下から雷にうたれても落雷というのでしょうか?

 

2812m杓子岳、2903m鑓ヶ岳に着きましたが、予想外の雨にうたれて弱音を吐きそうになってました。

 

 

 今晩お世話になる天狗山荘が見えてきました。

 

 

 雷鳥ウルップソウも冷たそうです。

 

 

 天狗山荘は二段ベッドの明るくて気持ちの良い山小屋です。食事内容はすっかり忘れてしまいましたが、昨日の疲れも忘れるほどゆっくり休ませていただきました。この日は雨の心配はなかったと思いますが、山の天気は変わりやすいから注意が必要です。

 

 昨晩、唐松岳から来たご夫婦に、今日向かう不帰の嶮の様子を教えていただきました。天狗山荘を後にして天狗の頭までは、ほとんど高低差がなくハイキング気分で歩けた気がします。2812m「天狗の頭」に着きました。

 

 

 天狗の頭を過ぎると、いよいよ天狗の大下りです。

 

 予想以上に急な下りです。ここ昇るの辛いだろうな?と言ってられません。足場をしっかり確保しないと、ズルズル滑って危険です。ここを下った最低鞍部が不帰のキレットです。ほっと一息つけるところです。というよりゆっくり休みましょう!

 

この先はいよいよ不帰の嶮です。何とも不吉な名前のこの峰々は、その昔、身の程知らずの方が唐松岳からここを介して、天狗の頭に挑んだが帰らなかったということからこの名がついたという説もありますが、一般的には、一度入ったら生還が難しい山域という意味が由来とされています。

 

 自分がここに立って感じたことは、天狗の大下りをやっとこ下って、この先が嫌だから戻る気になるか・・・と考えたとき、いや!戻りたくない。と思ったので「不帰!」かななんて勝手に思っていましたが、違っていたようです。

 

 ゆっくり休みながら、目の前の岩稜を見たら、ここどうやって行くんだろう?と考えてしまいました。いざ登り始めてみると、昨日の天気では岩も滑りやすくて怖いですが、足場も確保できますので3点支持の基本を守って登ってみましょう。核心部はⅠ峰とⅡ峰の間だったような気がします。

 

 

 

 

 

 一時も気が抜けませんが、強風にあおられることもなく何とか通過しました。この辺りまでくればほっと一安心です。もう直ぐ唐松岳です。

 

 

  そして、2695m富山県 黒部市と長野県 白馬村にまたがる唐松岳に着きました。眼下には唐松頂上山荘が見えています。

 

 

 その向こうに見えるのは懐かしい五竜岳でしょうか?登山道もクッキリ見えています。山小屋でゆっくり休ませていただいて、冬は雄大な八方尾根のゲレンデの中の登山道を下りました。

死ぬまで山歩き「19」思い出④

 

 日付の入った写真を見ると「97.7.21」とあったので、「思い出③」の翌年に間違いなさそうです。写真はどれがどの順番やら、とても怪しいのですが、この年は、扇沢から蓮華岳針ノ木岳ースバリ岳ー赤沢岳ー鳴沢岳ー岩小屋沢岳の山行だったと思います。

 

  

 黒部ダムの長野県側の玄関口、扇沢駅の左の沢をしばらく歩くと、針ノ木雪渓に入ります。けっこう勾配がありますので、軽アイゼンをつけました。雪渓の脇はチングルマが見ごろだったと思います。

 

            

 徐々に勾配がきつくなりますが、「雪渓の喉」と呼ばれる細くて急な斜面を過ぎると、もうすぐ針ノ木峠です。

 

 

 今晩お世話になる針ノ木小屋は、標高2536mの針ノ木峠に建っています。「山を想えば人恋し、人を想えば山恋し」の句で有名な百瀬慎太郎さんが創設した山小屋です。宿泊の手続きをしながら、ご主人と思われる方だったので、考えるともなしに「百瀬慎太郎の血筋の方ですか」と聞いたところ、「はい、孫に当たります」と答えられました。

 

 何ともびっくりして、「今日はすごい方とお行き会いしました」と言うと、「いや、別にすごくはないですがね」と言っておられましたが、自分としてはかなり驚いた覚えがあります。

 

 百瀬慎太郎は、大町市の旅館「對山館の家業を経営しながら、日本山岳会に入り、大正5年(1916年)大町に鉄道が通って駅ができると、登山客が増加したため翌年1917年に大町登山案内人組合を設立、現在の登山ガイド組織の先駆者として、北アルプス登山の歴史に大きな貢献をされた方です。

 

 家業の「對山館」には、「ウォルター・ウエスト」や「若山牧水」などの著名人も泊まれたということです。大正14年に、北アルプス裏銀座コースや後立山連峰の玄関口として拠点となる山小屋「大沢小屋」を創設、昭和5年にはこの「針ノ木小屋」を創設しました。

 

 後に、長女 美江さんが経営を引き継ぎ、1970年には美江さんの長男で現在のオーナー百瀬 堯さんが引き継いでいるということです。毎年6月第1日曜日には、百瀬慎太郎氏の業績を讃える「慎太郎祭」が開催され、北アルプスの開山祭と共に、様々なイベントが開かれます。

 

 

 早速、荷物を置かせていただいて蓮華岳に登ってみましょう。標高2799mかなり存在感のある山です。白い輝石安山岩とハイマツの緑がきれいですが、この日は残念ながらガスが出てきてしまいましたので、頂上の展望は期待できませんでした。

 

 一般的には、針ノ木峠から白馬岳までが「後立山連峰」と言われていますが、こちらの蓮華岳後立山連峰の南端とも言われています。

 

 

 蓮華岳針ノ木岳は、コマクサの群生地としても有名です。霧がかかり、細かい安山岩のガレ場はコマクサにとって、最高の生育環境といえます。

 

 

 イワベンケイヨツバシオガマも見ごろでした。

 

 この日も梅雨明けしたばかりのトップシーズンでしたが、針ノ木小屋はさほど混雑した様子でもなくて安心しました。低いところに窓のある、天井裏みたいな楽しい部屋でゆっくり休ませていただきました。朝のうちはまたガスが出ていましたが、針ノ木岳をめざして一気に登りましょう。

 

 

 さて、針ノ木岳までの工程がどんなだったか忘れてしまいましたが、コマクサの群生地に来た頃はすっかり天気が良くなりました。初めて白い花の咲いている株を見つけたのですが、確認できるような写真は撮れませんでした。

 

 

 ベニバナイチゴシナノキンバイでしょうか?

 

 

 針ノ木岳頂上が近づいてきました。そして2821m針ノ木岳に着きました。

 

 

 展望が楽しみだったのですが、少々霞んだ感じがします。これはこれで「あの山、どこだろう」と、探す楽しみがあって良いかもという気がします。

 

 

 

 キヌガサソウアカバシモツケソウでしょうか。

 

 

 タカネツメクサにシコタンソウでしょうか?やっぱりピンボケでした。

 

 こちらがスバリ岳かな?針ノ木岳から種池山荘までの工程はすっかり記憶から遠ざかってしまっています。

 

 

 赤沢岳だったかな?西尾根には黒部湖まで続く岩稜で、この尾根の途中2533m地点には「猫の耳」と呼ばれる奇岩があります。猫の後頭部のシルエットのようでかわいい形をしています。(右の写真)

 

 こちらは鳴沢岳だったかな?この赤沢岳と鳴沢岳のはるか下辺りを扇沢から黒部ダムまで関電針ノ木トンネルがあって、以前はトロリーバスだったのですが、今は電気バスが運行しています。

 

 人間が踏み入れることすら拒むかのような黒部川上流に、こんな壮大な計画を立てて実行したわけですから驚くばかりです。以前、東京電力尾瀬に巨大なダムを建設する計画があったようです。柏崎刈羽原発が再稼働されるということですが、電力に限らず、色々な意味で環境に配慮した生活を心がけたいと思います。

 

 

 左手の眼下に黒部ダムを見ながら進みます。黒部ダムの対岸は立山連峰ですが、雄山の頂上は雲の中でした。

 

 

           

 岩小屋沢岳から種池山荘までは、距離はありましたが、安心して歩ける稜線だったような気がします。鹿島槍は西から雲が滝のように流れていました。すっかり夕刻でしたが、暗くならないうちに扇沢に下らなくてはいけないので、ほとんど駆け足で柏原新道を下っていきました。

 

 下に降りたころ扇沢には人気がありませんでした。タクシーが一台、通りがかりにスピードを落としてくれましたが、駐車場を指さすと手を合上げて下っていきました。

 

 針ノ木峠というと百瀬慎太郎の他にも、遥か戦国の世に極寒の立山、ザラ峠と針ノ木峠を超えたとされる佐々成正を思い浮かべます。佐々成正は織田信長の精鋭部隊「黒母衣衆(くろほろしゅう)」の筆頭だったということです。本能寺の変」で信長が討たれると暗雲が立ち込め、家康に挙兵を求めるために、わずかな供を従えて浜松に向おうとしましたが、周りは敵だらけです。

 

 そこで、敵の目を避けるために、ザラ峠、針ノ木峠を超えたとされていますが、飛騨経由で安房峠を超えたという説に、山岳地帯を避けるために、日本海沿岸を北上して、糸魚川を経由したのではないかという説があるようです。

 

 

 今は男女ともに薄くて、丈夫でお洒落な用品がそろっていますから、ゴワゴワ、チクチクのニッカズボンなどすっかり見なくなってしまいましたが、この頃は、ニッカズボンを初めて買って、嬉しくていつも使っていました。久しぶりに使ってみようかなと思って引っ張り出したら、虫に喰われて穴だらけになっていました。

 

死ぬまで山歩き「18」思い出③

 まだ11月というのに、朝は真冬のような寒さになってしまいました。わずか一ヶ月ちょっと前は、まだ「暑い!暑い」が口癖になっていたような気がします。初めての北アルプス山行の翌年だったと思います。八方尾根から五竜岳鹿島槍ヶ岳爺ヶ岳を縦走しました。

 

 今日のうちに五竜山荘まで行きたいので、最初はゴンドラとリフトを使わせてもらいました。この頃は、まだ足にも自信があったし、限られた休日の中で計画を立てるので、普通は3泊4日のコースを2泊3日で行動することに無理があります。

 

 八方尾根でリフトを降りて歩きはじめると、左手に五竜岳の堂々とした姿が見えました。有名な雪形「武田菱」が見える角度とはまた違う姿をしています。

 

 雲の切れ間から鹿島槍ヶ岳が見えました。明日は登れるだろうか?写真は相変わらず、手振れにピンボケでどうしようもないですが、この角度から見た鹿島槍は、双耳峰が特徴的できれいです。

 

 湿地のワタスゲですが、数が見事です。

 

 湖面に白馬三山が映ることで有名な八方池が見えてきました。少しがっかりしますが、ガイドブックなどで見るほどきれいな池だとは思いませんでした。

 

 

 雲の中から白馬三山の鑓ヶ岳が見えました。そして天狗の頭へと続きます。

 

 

 天狗の頭から唐松岳の間に、不帰ノ嶮と呼ばれる難所があります。天狗の大下り、不帰ノキレット、不帰ノⅠ峰、Ⅱ峰、Ⅲ峰へと続きます。

 

 

 ウラシマツツジシラネアオイですが、この辺りで撮ったのかはとても心配です。

ネガフィルムをみつけると判別できると思いますが、気が遠くなりそうです。

 

 唐松頂上山荘から見た唐松岳です。唐松頂上山荘から唐松岳はわずかな工程ですが、この日は確か先を急ぐので、一休みして五竜山荘に向ったと思います。

 

 

 日当たりの良い平地は、春のようなお花畑が広がっています。

 

 

 

 

 結構な岩場もあったと思いますが、記憶は限りなく曖昧です。牛首岳、大黒岳を経由して遠見尾根をめざしますが、五竜岳が目前に迫ってきました。

 

 

 写真がヘタクソですが、チシマギキョウとウラシマツツジの中に咲いている赤紫の花は、ヨツバシオガマだと思います。

 

 

 遠見尾根分岐点まで来ました。もう直ぐ今晩お世話になる五竜山荘です。この近くでかわいいウサギギクが咲いていて、明日の朝、写真を撮ろうと思って、次の日来てみると毛虫に食べられていました。

 

 

  五竜山荘から夕陽を浴びた五竜岳と、その左脇に鹿島槍ヶ岳が見えますが、まだまだ遠くに見えます。

 

 アルバムの中に五竜山荘の領収書が入っていました。五竜山荘は中央に通路があって、その両側が二段ベッドのような造りになっていす。昔の山小屋といった感じで、落ち着きます。トップシーズンでしたが、すし詰め状態でもなくて楽しかった覚えがあります。

 

 

 朝の鹿島槍ヶ岳です。お世話になった五竜山荘を後に登り始めました。

 

 

 暫しなだらかに登りますが、いよいよ五竜岳の核心部に差し掛かります。

 

 

 高所恐怖症だから岩にへばりつくようにして、やっとの思いで五竜岳山頂に来ました。北は白馬岳方面でしょうか?

 

 

 西には剱岳がそびえたつように見えていました。南には鹿島槍ヶ岳までの岩稜が続いています。

 

 

岩場の連続で、一時も気が抜けませんが、八峰キレット小屋に到着しました。岩と岩の間にはめ込まれるように建っています。小休止して、またいきなり鎖場が待っていました。

 

        

                              

 八峰キレットの核心部、奈落の底に下りて行くようなほぼ垂直の梯子は、今でも夢に出てきます。

 

 

 鹿島槍ヶ岳の北峰を巻くようにして、北峰と南峰の最低鞍部に着きました。稜線を境に西側は、下から真冬のような冷たい風が吹き上げていましたが、雪渓の残る東側は、風もなく春のようなぽかぽか陽気でした。大自然の中では、自分などケシ粒のようなものです。

 

 

 鹿島槍の北峰にも登りたかったのですが、ここまで来るのにけっこうクタクタになってしまいました。南方に登って、今夜お世話になる冷池山荘をめざします。この先の登山道は、今までの岩場、鎖場の連続とは違ってホッとする思いがしました。

 

 楽しみながら歩いていると、今夜お世話になる冷池山荘が見えてきました。

 

 

 冷池山荘は流石に登山者も大勢泊まっていましたから、確か階段の踊り場で、自分のシュラフで寝させていただいたと思います。朝、表に出て眺めると、朝日を浴びた鹿島槍と南に爺ヶ岳が目前に迫っていました。

 

 今日は、こちらの爺ヶ岳をめざしますが、いつも思うのは歩き始めは苦しいです。しばらく歩いて体温も上がって汗が出始めると、とても体が楽になります。

 

 

 爺ヶ岳は三つの峰があって、北峰、南峰、中央峰から構成されていて、最高峰は本峰とも呼ばれる中央峰です。西には立山連峰の雄山が堂々とそびえています。

 

 さらに左手の奥には、槍穂高連峰が霞んで見えます。

 

 眼下には、今回の山行の終着駅ともいえる扇沢が確認できます。

 

 こちらから眺める鹿島槍ヶ岳は、また堂々とした姿です。

 

 朝から、ヘリコプターが扇沢からあちこちの山小屋を行き来しています。食料品などを空輸しているのだと思いますが、忙しそうです。

 

 

 種池山荘で一休みして、柏原新道を下って扇沢に向います。冷池山荘に種池山荘も「池」という漢字がついていますが、この辺りには小さな池がたくさんあります。クロサンショウウオの生息地としてとても貴重な池です。また、山小屋の貴重な水源にもなっています。

 

 扇沢まで下ると、暑い下界が待っていました。側を流れている川の水で、思いっきり頭と顔を洗わせてもらいました。五竜岳鹿島槍ヶ岳爺ヶ岳の縦走も無事帰ってくることができました。難所も多い登山道だったので、思い出深い山行でしたが、さて、扇沢から八方尾根の登山口まで、どうやって車を持ちに行ったのだろうか?まったく記憶にございません。