satoyamanekokunのブログ

猫たち、お酒、山に虫、神社仏閣、全くまとまりのないブログですいません。

心がけている食べ物

朝は、ウグイスにキジの鳴き声で目が覚めます。そして、新緑に囲まれた良い季節ですね。

天気の良い日は、ちょと早起きして野山を歩くと、おいしそうなものが見つかりますよ。

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少し歩いて、けっこう採れましたので、夜は早速、天ぷらにしてもらいました。
なんといっても、旬の山菜はおいしいですね。特に、タラノメなどのウコギ科の山菜は、免疫力を高めてくれる効果もあるのだそうです。

食べるものについて言えば、山菜に限らず旬の野菜や果物・魚などを、積極的に食べるように心がけています。野菜はできるだけ無農薬で、自分で作ったものを食べるようにしています。夏のキュウリやトマトなどの果菜類は、暑い体を冷やしくれるし、冬の根菜類は、体を温めてくれるのだそうです。

そして鶏肉以外の肉は、あまり食べない・・・。と言うのは嘘で、はっきり言えば嫌いなだけです。子供の頃は、鶏肉も食べられませんでした。いつも給食に肉が入っていると、先生に無理やり食べさせられるのが嫌で、午前中の授業に身が入りませんでした。一度は我慢して食べて、午後の理科の時間に教室で吐いてしまいました。それからは、その先生も無理やり食べさせることはなくなりましたが、そもそも動物の肉が食べ物だとは思っていないのです。

鶏肉は、おふくろにモモ肉をちょとつまんで「おいしいから、食べてみな」と言われて、恐る恐る食べたら食べられました。「おいしい」とは思いませんでしたが、食べられことが嬉しかったことと、女房も鶏肉が好きで、色々に工夫してくれるので、鶏肉は好きになりました。

かなり脱線してしまいましたが、コレステロールも少ないので、体には良いと思います。鶏つながりと言うのも変ですが、卵も1日1個は必ず食べるようにしています。価格の割には、絶対に栄養があると思います。

他にも食べるもので心がけていることは、体の炎症を抑えてくれると言う、小豆の「あんこ」を使っているものを意識していただくようにしています。そして、「マヨラー」と言われても否定しないくらい、マヨネーズが好きですが、生野菜や茹でた野菜には、お味噌に米酢やリンゴ酢を混ぜたものを、ドレッシングの代わりに使うように心がけています。両方とも発酵食品で、食欲もわきますよ。その他にも、甘酒や酒粕も好きです。

最近、好きな飲み物ですが、「伊藤園」さんから何かいただいている訳ではないのですが、肝臓と目に良さそうな、この2品目が好きです。

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食べ物はもちろんですが、適度な運動も大事ですね。特に今のような季節は、山菜や花に蝶などを見つけながら、少し汗ばむくらい野山を歩くと楽しいですよ。
ストレス解消にも最適だと思いますので、天気の良い日は思いっきり野山を歩いてみましよう。




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神社仏閣を訪ねて(2)「親鸞聖人の軌跡を巡り」

2016年8月7日家族で海に行った帰りに、京都で念仏が禁止されて、流罪となった親鸞聖人の足どりを訪ねてみました。

師、法然上人は四国讃岐に、親鸞聖人は越後に送られたということですが、越後は妻 恵信尼さまの生まれ故郷です。
流罪とはいえ、かなりご配慮があった上での計らいだったような気もします。

長旅の末、ご上陸されたところは、上越市 国府の居多ヶ浜という地で、ちょうど現在の直江津海水浴場の辺りになるようです。

少し離れて、同じような碑が2つ建っていますが、何れにしてもこの辺りにご上陸されたのだと思われます。


この地に着かれて、おそらくこの高台から海を眺められたに違いないと思われます。そして、様々な思いが脳裏をよぎったことでしょう。


ここ、ご上陸の地では、木造の親鸞聖人座像が祀られている「見真堂」の他、親鸞聖人のブロンズ像や碑にレリーフなどが建立されていて、今も尚、親鸞聖人が新潟県の人たちに慕われていることが分かります。

この地よりわずかに東へと向かうと、親鸞聖人が最初にお参りされたという、越後国の三社の一つ「居多神社」があります。元々神様が残した遺跡だという説があるほど神聖な雰囲気を感じます。近ごろは、縁結びのパワースポットとしても有名な神社のようです。



そして、わずか北に向かって坂を上った平地には、広い境内の「五智国分寺」があります。その本堂の右手の奥には、親鸞聖人が流罪中に住まわれていた「竹の内草庵」があります。



何れにしても、この地を拠点に流罪中の業務をこなして、許される範囲の中での布教活動もしておられたのではないかと思われます。

自分達が次に向かったのは、「本願寺国府別院」です。こちらは、流罪を解かれた親鸞聖人が、恵信尼さまと住まわれた「竹ヶ前草庵」があった地だということです。
この地で、恵信尼さまとしばらく過ごされた後、善光寺に約100日間滞在して、東国に向かわれたのでしょうか?


「竹ヶ前草庵」は、本堂に向かって左手にあったということです。本堂右手には、親鸞聖人が、居多ヶ浜にご上陸されたときの様子を再現されたというブロンズ像があります。



最後に訪ねたところは、同じ上越市でも更に内陸の高田に向かいました。2015年の夏、春日山城趾と、上越市埋蔵文化財センターを訪れたとき、その資料館の職員さんに教えていただいた、「浄興寺」に行きました。


親鸞聖人のご遺命により、御頂骨が常陸国の稲田の「浄興寺」に納められましたが、戦火をうけて信濃国 長沼に移りおよそ300年の後、永禄4年川中島合戦の兵火を浴びて堂宇炎上し、永禄10年上杉謙信公により、春日山城下に堂宇が建立されました。

さらに、越後国福島城下から高田城築城と共に高田へ移り、寛文5年地震により堂宇が崩壊して、現在の地に建立されたとのことです。親鸞聖人の御頂骨は、西本願寺また東本願寺に分骨された後、明治21年、こちらの「浄興寺」に本廟が創建されました。寺宝に、親鸞聖人自筆の六字名号もあるということです。
何れにしても、稲田の「浄興寺」から高田の「浄興寺」に聖人の御頂骨が納められるまでには、何とも大変な労力を要したことでしょうか?


親鸞聖人が、御幼少の頃から目にしておられたと思われます、京都「法界寺」の阿弥陀如来さまです。京都で念仏を広められた親鸞聖人が、流罪となった地で現在も尚、多くの方々に慕われているのですから、その生き方のすばらしさに驚くばかりです。


自分が子供の頃は、お寺に仏像は非日常の世界で何となく怖いというイメージがありましたが、今は神社仏閣に仏像が大好きです。そして、こちら「法界寺」の阿弥陀如来さまは、何人も極楽浄土にお導きして下さるような、何とも優しい顔立ちをしておられます。

思えばこの前の年にも同じ頃、家族で海に行ったのですが、お昼近くにみんながクラゲに刺されて、午後は海に入るのが怖くなってしまいました。そこで午後は
春日山城趾に行くことにしました。それはそれで楽しかったのですが、前年といい今年といい、何か見えないパワーにお導きいただいたような気がいたしました。
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

あの街の思い出(2)「信濃町」

昨年9月の休日、子供たちは家で勉強をするというので、女房と信濃町に行ってきました。楽しかったので、今頃になって思い出して書いています。

農大のとき、泊まりで実習に行った黒姫の農場に、笹ヶ峰ダム近くの登山口から登った火打山、初秋の朝、しっとりした空気の中を歩いて見た苗名の滝、懐かしい思い出がいっぱいです。

まずは、野尻湖とその湖畔にあるナウマンゾウ博物館に行きました。

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ここで、何回もの発掘調査が行われたのだと思うと、地球の歴史にため息をついてしまいます。そして、自分のような化石好きにはたまらないスポットでした。


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かわいい屋根の野尻湖郵便局


続いては、小林一茶記念館に向かいました。こちらも農大のころ、確か秋の遠足で来た以来はるか何十年ぶりになりますが、すっかり建物は新しくきれいになっていました。


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受付でタブレット端末を借りて、説明を聞きたい展示物の番号をタップすると、端末器から説明が流れるシステムになっていました。

屋外にも、たくさんの碑に俳句が刻まれています。

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こちらは明治43年小林一茶を慕う人たちによって建てられた俳諧寺と言いますが、お寺の機能を果たしているわけではなくて、時々句会が開かれとうことです。自分はこの建物を見てまず感じたのは、生き仏と慕われた良寛さんの五合庵でした。


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そして、小林一茶の一生をきれいな映像で説明してくれたアニメーションもとても良かっですね。

ゆっくり見て歩いて、お腹もすきましたので、楽しみのお昼をいただくことにしました。小林一茶記念館から歩いてもわずかな距離なのですが、少し分かりずらかった手打ち蕎麦工房「若月」に向かいました。


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時間があれば、手打ち蕎麦の体験もさせていただけます。しっかり、天ぷらソバをいただきました。こちらのおばちゃんたちの手作り感がたっぷりで、おいしかったです。中でも、ノリナという野菜の天ぷらが忘れられません。
そして、おみやげにボタンコショウという伝統野菜の辛ナンバンとお味噌で造った、「ぼたんこしょうの塾煮」というビン詰めを買って帰りました。これがまた、あったかいご飯に何よりのご馳走でした。

そして、ぐずついていた天気が少し回復して、黒姫の駅に行ったときはとても良い天気になりました。後で知ったのですが、ここの駅のお蕎麦もファンがたくさんいるのだそうです。小さな直売所もあって、「高原へようこそ」といった感じで楽しくなりました。

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次は、黒姫高原スキー場にある黒姫童話館に行きました。広いスキー場の中の一角にありますので、更に、高原に来た気がしました。

観光バスで来ている人たちもたくさんいて、更に駐車場もパンパンでした。こちらは小さなお子さんがいる家庭では、是非寄ってほしい場所です。


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楽しい絵本や、おみやげもたくさんあって、バムとケロのマグカップはいまだに子供たちに喜ばれています。


信濃町から、戸隠に通じる県道は通称「モロコシ街道」というのだそうです。近年ここ信濃町は、甘くておいしいトウモロコシでも有名な地なのです。そして、上信越自動車道インターチェンジ近くの道の駅「しなの」でおみやげを買って帰りました。


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なんと駐車場の芝生の中に、コムラサキシメジが見事な帯状に生えていました。そういえば、9月も半ばなのでこういう季節ですね。

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道の駅「しなの」は、広くて大きくてとてもきれいです。地元の野菜や果物もたくさんあって、見ているだけでも楽しくなります。
時間があれば、農大で実習に行った、黒姫の農場にも行きたかったのですが、なにしろはるか昔のことなので、たどり着けるかどうかも自信がありませんでした。

そして、ナウマンゾウ小林一茶、古間の鎌、とても歴史を感じる信濃町素敵な町です。

暇さえあれば虫探し(5)

今日は、暖かい日でした。夕方、散歩に出かけて、今年初めてウグイスの声を聞きました。歩くと楽しいですね。フキノトウに黄色のダンコウバイが季節を告げていました。

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午前中は、歯医者さんの帰りに臼田宇宙空間観測所に寄り道してみました。


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1984年に完成した、直径64mの日本一の電波望遠鏡です。比較的近くに住んでいるのに、ここを訪れたのは30年ぶりほどになります。最近は、「はやぶさ2」との交信でも大活躍しました。

かなりほど近いところに、更に高性能の同じJAXA電波望遠鏡が去年完成しました。こちらは、積雪のため通行止めになっていました。


電波望遠鏡に近づいた陽だまりで、黄色い蝶を見つけました。色の濃さと飛び方から、ヤマキチョウだと思います。さすがに写真は撮れませんでした。


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電波望遠鏡の写真を撮らせていただいたその帰りに、ルリタテハに行き会いました。林道のど真ん中で車をとめて、息を殺して近づいたのですが、この画像を撮るのが精一杯でした。この後、はるか遠くに逃げられてしまいました。夏になると、家の周りでも見かけますが、警戒心が強くてなかなか良い写真は撮れません。そして、ルリ色の帯が宝石のような、とてもきれない蝶です。
今日は、このわずかな寄り道の間に、2種類もの蝶たちに行き会うことができました。これから徐々に暖かくなると、更に色々な昆虫たちに行き会えると思うと、今からわくわくしてきます。

春、暖かい日、真っ先に飛び出してきてくれる蝶は、キタテハだと思っていましたが、こんなにも色々な蝶たちが、成虫で越冬しているんですね。そして、冬の間どこに身を隠して、寒さに耐えていたのだろうかと思うと、元気をもらえる気がします。


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昨年11月、会社の友だちとキノコ採りに行って行き会った、体長3㎝ほどのトンボです。正面の画像が撮れませんでしたので、判別が難しいのですが、腹部の先端の形から、マユタテアカネだと思います。天気の良い日は、思いっきり陽だまりで楽しんでほしいと思います。


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同じ日、また近くの山で友だちと、お昼にしようとしたところ、近くのミズナラの木の幹に、何やら集まっていました。近づいてみると、発酵した樹液を求めてきたクロスズメバチです。夏の間、必死に巣造りと餌を採ることに専念して、育てた幼虫たちが巣立った晩秋の暖かい日は、せめて自分のために費やしても良いと思います。


今年も、これからたくさんの虫たちに行き会えると思うと、野山に出かけるのがとても楽しみです。

神社仏閣を訪ねて(4)「善光寺参道」



子供たちも春休みなので、家族で何処かに出かけようということになりました。
みんなで長野市に行きました。女房と子供たちは、買い物をしたいということで、お昼まで自由行動にしました。
自分は、七福神巡りをしながら善光寺参りをしたかったので、善光寺のご本尊一光三尊阿弥陀如来さまが、日本に渡ってこられるきっかけを作ったともいえる、長野駅前の如是姫さまにご挨拶をして出発しました。


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如是姫さまが、左手に持っておられるお花は、善光寺の方角に差し出されているのだということです。如是姫さまは、お釈迦さまの時代に実在したお方で、なおかつ知人でもあったというので驚きです。それにしても、そんな時代のお姫さまが、今の時代の日本に影響を与えてくれているのだから感謝の限り「南無阿弥陀仏


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七福神巡りは、長野駅から歩いて「かるかや山前」の交差点を過ぎて、すぐ右手の「かるかや山 西光寺」からスタートします。参道を進みながら、神社仏閣を訪ねて歩くのも楽しいものです。なかには見つけづらい神社もありますので、それがまた楽しいかもしれません。


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後は、地図をそのまま貼り付けてしまいましたが、秋葉神社十念寺と同じ敷地内にありました。そして、秋葉神社をお参りした後、後方右手に八角形のきれいなお堂がありました。
そこは、「大仏堂」とあって扉を開けて中にお邪魔すると、それはすてきな大仏さまが祀られていました。後ほど調べるとこの大仏さまは、「出世大仏」といわれる大変ありがたい大仏さまだとのことでした。「合掌」


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神社仏閣を訪ねると同時に、参道のお店を見ながら歩くのがまた良いですね。そして、いよいよ善光寺が近づいてきました。最後は、毘沙門天さまが祀られておられる通称「釈迦堂」といわれる「世尊院」にたどり着きました。
仲見世通りの中ほどの左手に、延命地蔵尊というお地蔵さんがあります。その延命地蔵尊から東に延びる小路の正面に、おごそかなたたずまいの世尊院があります。

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善光寺は、来世のお寺で世尊院は現世のお寺なのだそうです。そして、元々善光寺は、今の延命地蔵尊の辺りに、世尊院と向き合うかたちで建てられていたということです。けれども善光寺本堂は、11回に及ぶ火災の後に今の場所に建立されたといわれています。
世尊院のご本尊さまは、等身大の釈迦涅槃像です。善光寺御開帳の年には、ここ世尊院にも回向柱が建てられて、このご本尊さまとつながっていますので、ありがたくこの回向柱に触れさせいただきました。「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏


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そして、善光寺本堂にお参りする前に自分はいつも、大香炉から左手奥におられる親鸞聖人の立像にお参りをします。それから階段を上って、「おびんずるさま」をお参りしてから本堂にお参します。「おびんずるさま」の左に大きな松の枝が生けられいますが、これは、「親鸞聖人お花松」といいます。越後 で流罪を解かれた親鸞聖人が、東国に向かうおりに善光寺に100日ほどご滞在なされたということです。そのご滞在中に親鸞聖人が生けてくださった松の枝が、今の時代にも欠かすことなく生けられいるのです。
そのほかにも、親鸞聖人が爪で彫ったという目にご利益があるといわれる「爪彫り如来」もあります。一説には親鸞聖人は、善光寺聖だったのではないかという学者もおられるほど、善光寺に心を寄せていたようです。


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そして、自分が善光寺参りには必ず一緒にお参りするお寺があります。俳人小林一茶が「散る花や 月入る方は 西方寺」とうたった西方寺です。善光寺参道を下って、大門の信号を右に進むとまた趣の違った、何とも落ち着いたたたずまいの大きな瓦屋根のお寺が見えてきます。

西方寺というお寺は、日本各地にたくさんありますが、1199年浄土宗の開祖、法然上人が善光寺を訪れた際に、権堂の往生院の地に開創したのが始まりだということです。また善光寺本堂の仏様の避難所にもなっているということです。
ご本尊さまは、阿弥陀如来座像です。西方寺では、本堂をお参りしてから手前左手の赤い柱の白い壁の建物「二尊極楽堂」をお参りします。


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こちらには、チベット大仏さまが祀られている建物です。2010年6月ダライ・ラマ14世ビッグハットで講演を終えた翌日、善光寺とともに、ここ西方寺に立ち寄られて、この大仏さま に魂を入れる、開眼法要という法要を営んでくださったという、大変ありがたい大仏さまなのです。


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大仏さまに失礼して、「撮影禁止」の札が見当たらないのを良いことに、ガラス越しに美しい姿を撮らせていただきました。大仏さまに向かって左手から、大仏さまの周りを一巡できる、瞑想修行回廊があります。二尊極楽堂の壁に沿って、壁の絵巻を見ながら一巡することで、極楽浄土に行って、生まれ変わって帰ってこられるということです。気持ちの問題も大きいと思いますが、心もおだやかに感謝の気持ちを込めて一巡すると、こんな自分でも心が洗われる思いがしました。


回廊は、全面壁なので暗いのですが、絵巻を照らす照明がありますし、足元は明るいので心配はありません。そして、回廊の中央右手の壁には、ダライ・ラマ14世の開眼法要の際にこの大仏さまに入魂された胎内仏と同じ仏様が納められています。(大仏さまの真後ろになります)ガラス張りですので、直接触れることはもちろんできないのですが、合掌して「南無阿弥陀仏」と唱えました。


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2015年4月には、善光寺の御開帳に併せて、鮮やかな朱色の回向柱が立てられました。この回向柱は、「命の回向柱」と言ってこの柱に触れることで、大仏さまの命を分けていただいて元気で長生きができるということです。

ガソリンの値段がまた上がったし、物価ばかり上がって、またもや消費税も増税されるし・・・。などと、雑念や煩悩ばかりの自分でも、長野駅から歩いて、思いきり神社仏閣を訪ねて みると、何とも言えず、すがすがしい気分にリセットされました。自分にとっては、山に登ること、野山を歩いて虫や花を眺めること、保護ネコたちと遊んでいる時間、そして、神社仏閣を訪ねて歩く時間がとても心が癒されます。

けっこう歩いて、お腹もすきました。あとは長野駅までひたすら歩いていると、酒屋さんの看板が目に入って「地酒😋」なんていう雑念が早くも湧いて来ました。しかし、お昼はみんなと一緒に食べる約束をしていたので先を急ぐことにしました。

暇さえあれば虫探し(4)

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ある日仕事から帰ると、見事なカラスアゲハが、部屋の中にいました。記憶をたどると去年、押し入れにしまっておいた蛹が羽化したのです。これは、気の毒なことをしてしまいました。早速、外は暖かいので放してあげました。


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休日、散歩に行こうとして玄関を開けると、かわいい昆虫が来ていました。(踏まなくてよかったです)体長は約2㎝ほどで、小さいけれどもどこから見てもセミに違いないのですが、こんな小さいセミは初めてみました。(ひょっとすると新種?)
そんなはずはもちろんなくて、後で図鑑で調べて「ニイニイゼミ」だと分かりました。ニイニイゼミは「声はすれども」でこの歳になって初めてみた気がします。散歩から帰るとさすがに姿はありませんでした。


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別の記事で、家の車のタイヤで羽化しているエゾハルゼミを紹介しましたが、これはまた別の休日、玄関先の切り株で羽化しているところに付き合いました。昆虫たちの羽化するときは、もっとも外敵に狙われやすく、また羽根が伸びてもまだ飛ぶことは出来ないのです。6・7年も暗い土の中で過ごして、やっと地上に姿を現したと思うと一週間ほどの儚い命なので、おもいっきり地上生活を楽しんでほしいものです。


諏訪湖の遊覧船

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家には、「かえるのお店」の志村さんからいただいたカエルが、仲間入りしました。


3月は、「ひな祭り」に始まって、卒業式、「春分の日 」そして、寒い地方では、季節は冬から春に変化します。庭のフクジュソウは日に日に背が伸びてきました。


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オオイヌノフグリもかわいい花を咲かせていました。先日の新聞記事に諏訪湖の「竜宮丸」が、今年度末に引退することが 決まったということです。 2017年に「おやこはくちょう丸」も引退しています。唯一同じ白鳥の形をした「スワン」は残っています。
子どもたちの小さいときは、諏訪に遊びに行くと、ソフトクリームを食べながら、このどちらかの遊覧船に乗るのが楽しみでした。自分は、「竜宮丸」が接岸するときの低回転のエンジンノイズが好きでした。



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今日本で、亀の形をしている遊覧船は、猪苗代湖の「かめ丸」と「竜宮丸」の2隻だけだということです。また、この2隻はほぼ同じ形をしているので兄弟船だと思われます。今すぐになくなってしまうわけではないですが、何だかとてもさみしい気がします。