旧中込学校の話

 

 既に何年か前になりますが、旧中込学校が耐震工事を終えて一般開放されましたので見学に行きました。

 

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 1872年の学生発布を受け、1873年 下中込村、今井村、三河田村の三村組合立の成知学校が開校しましたが、当初は下中込村の真言宗の小林寺を仮校舎として使用していたということです。

 

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                               真言宗 小林寺

  1974年 新校舎の建設に向けて動き出し、1875年に完成したということです。

同じころ建てられた松本深志高校の前身である、松本市の国宝「旧開智学校」とならぶ「擬洋風建築」で、1969年に国の重要文化財に指定されました。

 

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 アメリカ  サクラメント渡航経験のある棟梁・市川代治郎 氏の設計・施工によって建てられたということです。

 

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 当時とても高価で珍しいガラスが、すべての窓に使われていたため「ギヤマン学校」とも呼ばれていたようです。木の机と椅子が懐かしくて温かみがありますよね。

 

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 いたるところが洋風に施されています。

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 当時、使った教材も展示されています。天の虫と書くほど以前、日本で大切にされた蚕の模型に目が停まります。とても精巧に造られています。長い間、繊維が日本の経済を支えていたといっても過言ではないほど盛んな業界だったはずですが、今ではすっかり中国に依存してしまいました。

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 小部屋がまた楽しそうです。

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 ステンドグラスの丸窓がとてもお洒落です。当時、更に珍しくて高価だったのではないでしょうか。

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 屋根の上に突き出た八角塔は、太鼓がつるしてあることから「太鼓楼」と呼ばれていました。当時、ほとんどの家に時計がなっかたので、この太鼓を叩いて時報として知らせていたということです。天井には、山の名前に地名、離島の名前などが書かれています。金峰山甲武信岳という山名も確認できます。

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 太鼓楼の窓から北東の方向に佐久市役所が見えました。

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 外に出て、すぐ東の庭でお抹茶をいただきました。確かこのときいただいたお菓子は、桔梗屋さんのお菓子だったと思います。

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 その庭のすぐ東には「C56」の雄姿があります。

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 よく何もないといわれる佐久市ですが、後世に大切に残したいお宝だと言えます。