satoyamanekokunのブログ

猫たち、お酒、山に虫、神社仏閣、全くまとまりのないブログですいません。

「おたや祭り」2024

2014年 元旦の午後、スマートホンが緊急事態を知らせると、こちらも揺れました。東日本大震災のときと同じくらい揺れました。防災無線で「巨大地震です」と放送がありました。

 

地震発生からもう直ぐ4週間が経ちます。そして、石川県では236名もの方が亡くなられました。何もかも足りていない被災地で岸田総理が現地入りしたのは何と2週間後です。以前、村山元総理は災害が起きる度に何をおいても長靴にドカジャン着て出かけて行っていたのを思い出します。

 

娘のアパートのある高岡市でも断水している地域もあって、本人は年末に帰省していましたが、部屋の中は大変なことになっているのではないだろうか。戻って行ってあまり酷いことになっていたら、次の休みに手伝いに行く予定でいましたが、棚の物が落ちている程度で済んだようです。

 

これから、長野県はますます寒くなる時期ですが、被災地の皆さんの苦労を考えたら、平穏な日常が何とありがたいことかと感謝しなくてはいけない思いです。暖かくなるまでの間の季節、毎年楽しみにしている行事もあります。

 

長和町 古町の豊受大神宮の例祭で「おたや祭り」の名で親しまれています。上田市にも古くから豊受大神宮が建立されていて、小正月に例祭が開かれて「おたやさん」の呼び名で親しまれているということです。

 

「おたや」の名の由来は、新しく水田を開くために建てられた田小屋を指す「田屋」とも、また大麻(たいま)(神札)や暦を配ったり布教に巡回する御師(おし)の宿泊所「旅屋(たや)」ともいわれる。この旅屋が時とともに神聖視されるようになり、やがて旅屋のある伊勢社の祭りを「おたや祭り」と呼ぶようになったとする説があるようです。

 

今年は参道の社務所前で「ながと不動太鼓」の皆さんが太鼓を奉納されていて、それは見事でしっかり見惚れていました。職場の友達でここ古町から通っている方と後日話をすると、太鼓が奉納されたのは今年が初めてだということでした。

 

「第一場」「浦島太郎竜宮城から村に帰るの場」

長和町の「おたや祭り」は何と言っても町内五ヶ所に奉納される山車を見るのが楽しみです。この山車は長野県選定 無形民俗文化財に指定されています。

 

職場の友達も毎年実行委員として参加しているのがこちらの「第一場」です。

毎年「何にしようか」ということから始まるようですが、とにかく可愛いのにしようという意見が多いということでした。

 

「第二場」「甲賀三郎 龍になる」

この話は、御代田町の「龍神祭り」のもとになっている話です。甲賀家の三男の三郎は、二人の兄たちに妬まれて美しい妻、春日姫を連れ去られ、蓼科山の大穴に落とされてしまいました。

 

暗い大穴の中で何年も春日姫を探し続けました。やがて闇の先から光が見えて急いでそこから出てみると、浅間山の麓にある真楽寺の池だったということです。池の水に自分の姿を写してみると、そこには龍になった自分の姿がありました。

 

龍になった三郎はそれでも大声で春日姫の名を呼び続けました。すると三郎の声に応える春日姫の声が聞こえて、二人は出会うことができたのですが、なんと、春日姫の体も龍になっていました。ともに龍になった二人は仲睦まじく諏訪湖に入り龍神になったということです。(諏訪湖と真楽寺の池がつながっているという由縁です)

 

「第三場」「夜叉ヶ池 龍神の場」

福井県 南越前町岐阜県 揖斐川町との境界付近の山中にある神秘的な池の伝説、日照りの続く村を救うために龍神の妻となった夜叉姫は、自らも龍になって池に住んでいたということです。この池は後に夜叉姫の名を取って「夜叉ヶ池」と呼ばれるようになったということです。父 安八太夫の驚いた表情と夜叉姫の表情、今にも動きそうな龍神がとても良くできています。

 

 

「第四場」「登竜門 鯉の滝登りの場」

登竜門の由来は、中国の歴史書後漢書」の「李膺伝(りようでん)」です。中国の黄河には「竜門」と呼ばれる激しい急流があり、「竜門を登ることができた鯉は竜になれる」という言い伝えがありました。この言い伝えを基に、李膺(りよう)と呼ばれる官僚に認められた若者が出世することを登竜門と呼んでいたとされています。

 

 

 

「第五場」「川中島の合戦」「信玄と謙信の一騎打ちの場」

川中島古戦場にあるあの有名な一騎打ちの銅像さながらに、正に上杉謙信が馬上から床几に座った武田信玄に太刀をあびせる瞬間です。

 

武田信玄の本陣に先陣を切ってなだれ込んできた上杉謙信が、信玄に三太刀をあびせて、それを受けた信玄の軍配には八つの傷がついたという話が「甲陽軍鑑」という書に乗っているということです。

 

しかし、「上杉家御年譜」という書によると、信玄に切りつけたのは、謙信ではなく信玄を猛追した武将の荒川伊豆守だと書かれているようです。どちらがより真実に近いかは、あの時代の川中島にタイムスリップしてみましょう。

 

 

こちらは小学生が制作した山車、「復活!龍の子太郎」です。この山車は平成24年に中町保存会が奉納したものです。今回、長門小学校の六年生が修理して色を塗り直して復活したものです。周りのお人形は同じ小学校の五年生が作った案山子です。

 

この絵、かわいいですね。どなたが描いた絵でしょうか?

 

能登半島地震で被災されたみなさんは、何もかもが足りない中でまだまだ大変な思いをされていると思います。そして、被災地の大学受験生は、二日間本当に大変だったと思います。

 

 

 

 

帰りがけにきれいなお地蔵さんが並んでおられましたので、西蓮寺というお寺さんにお邪魔させていただきました。宗祖が法然上人さまですから浄土宗のお寺さんだと思いますが、何ともきれいなたたずまいのお寺さんです。

能登半島地震の被災地では、まだボランティアを受け入れていないようですが、ボランティアの受け入れを始めたからといって、直ぐにとんでいけるような距離でもないので、僅かずつでも募金に協力させていただくくらいしかできませんが、被災地の皆さまには謹んでお見舞い申し上げます。