satoyamanekokunのブログ

猫たち、お酒、山に虫、神社仏閣、全くまとまりのないブログですいません。

あの街の思い出「11」松川村

 

今年は子供たちも忙しくて夏休みもお盆の休みにやっと帰省してきました。娘はお盆が終わると一週間大学に戻って、また帰ってきてくれました。お盆休みもどこにも連れて行ってあげられなかったので、たまにはどこかに出かけようと女房と娘に声をかけてみました。

 

行先は「安曇野ちひろ美術館」に決めました。松本方面に出かけるときは決まって三才山トンネルを超えて行くのですが、今日は長野自動車道の「姨捨サービスエリア」に寄ってみたかったので、佐久インターから上信越自動車道に乗って更埴ジャンクションから長野自動車道に入りました。

 

そんな訳で更埴ジャンクションから長野自動車道は初めて通ることになります。姨捨サービスエリアまではかなりの上りでした。そして、姨捨サービスエリアは広くてとてもお洒落です。

 

昨日は浅間山もくっきり見えるとてもいい天気でしたが、今日は少し雲がかかって霞んでいます。北信五岳は左の奥に戸隠連山、中央に飯綱山、右の奥に斑尾山が霞んで見えますが、黒姫山妙高山は確認できませんでした。

 

 

自分のイメージでは姨捨の棚田が眼下に見わたせたり、西には北アルプスの峰々が見わたせるのかななどと思い描いていたのですが、そんな贅沢な場所があるわけないですよね。

 

ひたすら上りだった道路も麻績辺りを過ぎるとなだらかに下って、とても自動車道とは思えないような長閑な感じになりました。筑北PAからは北アルプスがきれいに見えていたので、時間さえあれば寄ってみたかったのですが先を急ぎます。

 

 

 

そして、展望がとても良いという池田町立美術館「北アルプス展望美術館」に立ち寄ってみました。安曇野のシンボルともいえる台形の有明山の後ろには、北アルプス表銀座と言われる燕岳、大天井岳常念岳が確認できます。

 

自分も初めて北アルプスに登ったのはこちらの峰々ですが、あの頃は体力にも自信があったので、早くに家を出て中房温泉から合戦尾根を登って、燕岳に登ってその日のうちに大天井岳まで行きました。いやいや、今ではとてもそんな無茶なことはできないと思います。

 

 

 

ところがです。良く調べもしないで出かけたものだから、展示替えのため9月8日まで休館ということでした。でも北アルプスを眺めながら贅沢に広い敷地の中を歩いてみるだけでも楽しいところです。

 

 

時間をみるとちょうどお昼時です。落ち着いた感じの食事処がありましたので、あちこち迷って歩くよりもこちらでお昼にしようということで意見が一致しました。

 

自分は「有明ご膳」をいただきました。信州サーモンのお刺身にサクラマスの粕漬け、椀子そばが楽しめます。サラダバーもあってキャベツにもやしのナムル、ヒジキと大豆の煮もの、キュウリのピクルスがありました。

 

もやしのナムルとキュウリのピクルスのさっぱりとした酸味が気に入って、お代わりしてしまいました。

 

 

 

安曇野は時間さえあれば行きたいところばかりですが、次に向かったのは「安曇野ちひろ美術館」です。開放的で広い敷地の中にいると日頃、忙しくて忘れていた何かを教えてもらえるような感じがします。レタスに白菜どのくらい作れるだろう?なんて野暮なことは考えないようにしましょう。

 

ちひろ美術館・東京」は1977年に自宅の一角に建てられた、世界で初めての絵本美術館です。「安曇野ちひろ美術館」は1997年、「ちひろ美術館・東京」の20周年を記念して開館しました。「展示室1」はいわさきちひろの代表的な絵本と、その中の原画が展示されています。「展示室2」はいわさきちひろの人生が、手に取るようにわかる展示室になっています。

 

渡り廊下を渡った「多目的ギャラリー」では、いわさきちひろの生涯を紹介した映像を見ることができました。「展示室3」「展示室4」「展示室5」は世界の絵本画家とその作品、絵本の歴史を紹介した貴重な資料が展示されています。

 

いわさき ちひろさんは福井県で生まれましたが、ご両親は長野県の生まれです。ここ松川村はそのご両親が戦後、開拓農民として暮らしていた場所で、いわさきちひろは折に触れてはこの地を訪れて、多くのスケッチを残したということです。

 

こちらは「子供の展示室」で、その奥は「絵本の部屋」です。

 

 

車窓に映る北アルプスの山々に、網棚に置かれている荷物も味わいが深いです。

 



 

ゆっくり見学して、となりの「安曇野ちひろ公園」の「トットちゃん広場」に来ました。トットちゃんの足跡があちこちにあります。

 

こんな木陰で日がな一日、ゆっくり本でも読んでみたいです。

 

長野電鉄より譲り受けた「モハ604」モはモータ(原動機)が付いている車両の意味で、ハはグリーン車などに対して普通車という意味のようです。昭和2年に製造された車両です。

 

少し勉強したので、自分で忘れないように書いておきましょう。

  イ:1等車

  ロ:2等車(グリーン車

  ハ:3等車(普通車)

グリーン車が2等車なので「イ」の車両は一時期なくなりましたがJR九州の「ななつ星」の食堂車以外の車両が「イ」の記号がついているということです。

  ク:制御車で運転台がある車両、先頭に立つことができる車両、モータはない

  モ:中間車両でモータがついている車両  

  デ:電車 (JRでは使わない)      

  キ:原動機がディーゼルエンジンの車両     

  サ:運転台、モータなどの原動機がついていない車両、先頭に立てない車両

  キク:原動機がディーゼルエンジンの列車で原動機はなく運転室がある車両

  キサ:原動機がディーゼルエンジンの列車で原動機も運転室もない中間車両

  ネ:寝台車

  ロネ:A寝台車

  ハネ:B寝台車

  シ:食堂車

  ユ:郵便車

  二:荷物車

  ヤ:訓練車や職員用の電車

例えば私鉄でよく目にする「モハ」「デハ」とは、ともに電動車で「ハ」はJRと同じ意味なので電動車の普通車両ということになるようです。東武鉄道では「クモ」という表示は使わなくて制御電動車も中間電動車も「モ」と表示しているようです。

 

制御電動車も中間電動車も「モ」「デ」と表示しているのは私鉄だけでJRではこのような表示は使わないということです。

例えば「クモハ」は運転台があって、モーターがついている普通車両ということになるようです。

 

鉄道マニアの方は、あたりまえに知っている客車の知識だと思いすが、覚えたての自分は楽しくてたまりません。また、貨物列車の場合は、貨車の種類や形態、積載物や積載重量を表す表示も加わってきます。

 

 

 

外装はここ松川村の自動車整備工場の方たちに、定期的に塗装をしていただいているのでとてもきれいです。

 

 

 

 

 

さいころから列車の連結部のメカニズムがとても好きでした。

 

 

 

 

 

 

 

休み時間が終わって、今にも子供たちが飛び込んでくるような気がします。

 

 

長野電鉄で現役を引退しても、このようなところで大切に使われているのは嬉しいことです。長野電鉄の屋代ー須坂間を走っていた屋代線は2012年4月1日に廃線になってしまいました。自分も何度かお世話になった電車なので、今は走っていないのかと思うと寂しい限りです。

 

大糸線飯山線などのローカル線も、乗客の減少から存続が危ぶまれているようです。大都市の地下を幾重にも走っている地下鉄ももちろん必要ですが、地元ではこの電車しかなくてどうしても必要としている方達がいます。何としても残してほしい路線だと思います。

 

大切なお財布を落としてしまったトイレの汲み取り口が再現されています。トットちゃんにとってはとても大切なお財布だったのです。

 

こちらは信濃町 黒姫にあったいわさきちひろの書斎「黒姫山荘」を再現した建物です。黒姫高原に相応しく、日常の生活臭を感じない自由な空間という気がします。

 

いわさきちひろの描く子供たちは、その目と表情を見ただけで今その子がどんな気持ちかが手に取るようにわかります。その表情がとても豊かでかわいいです。

 

折も折ですが、9月4日の信濃毎日新聞に「窓ぎわのトットちゃん」の続編が42年ぶりに刊行するということです。すっかり忘れている部分もありますので、初刊から通して読んでみたいと思いました。

 

こちら方面に来たのはたぶん20年ぶりくらいになると思います。そして、美術館がたくさんあります。池田町や生坂村もゆっくり歩いてみたいと思います。そうそう遠くないうちにまたいつか足を運びたいと思います。