あの街の思い出(6)蚕都

 今日は「憲法記念日」です。毎日報道されるウクライナの悲惨な現状を見て、なおも「憲法改正」だの「核共有の議論」だの「敵基地攻撃能力」だのと、やられたらやり返す。みたいなことばかり騒ぎ立てている権力者が多いですが、今や核、原子力などというものが人間の手に負えるものではないことは子供達でもわかっています。まして、法律も守らない政治家が憲法を変えたらどんな国になってしまうのだろうか?戦争という最低の事態を回避するためにも賢く外交することこそが、どこの国の政治家にも課せられた義務ではないのでしょうか?

  話は変わりますが、今はアジア諸国に依存してしまった繊維ですが、以前は日本経済を支えていた産業と言っても過言ではないでしょう。その時代、上田市も「蚕都」と呼ばれ、蚕業に関わる施設がたくさんありました。自分たちもまたそんな時代にあやかって勉強した時期を思い出して、「今はどうなっているのだろう」とふと思いついて出かけてみました。

 娘もGWで帰ってきて女房と一緒にアリオで買い物をするというので、自分はその先に向かって上田大橋で千曲川を渡りました。毎日見ていた「岩鼻」の手前には「上田 道と川の駅 おとぎの里」がありました。以前、「岩鼻」の直ぐ脇を通ていた県道は、「上田坂城バイパス」と言って国道18号線のバイパスとなっていて、「岩鼻」の真下を「岩鼻トンネル」が通っていました。

 南西の方角には独鈷山にそのわずか左の奥には蓼科山も見えます。東には烏帽子岳・太郎山が見えました。しばらく眺めて見て回り上田大橋を戻ってすぐに川東の堤防沿いに左折しました。しばらく進むと右手に「清心地蔵菩薩」というお地蔵さんがありましすが、先輩方に「このお地蔵さんは(夜泣き地蔵)と言って、夜になると鳴き声がする」とか、「夜になると目が光る」とか「合掌している両手が開いている」とか色々なことを聞きましたが、多分そういうことはなかったと思います。


 さらに進むと上田西高校がありました。この敷地は正に以前の「長野県蚕業試験場」の跡地です。当時の建物らしき面影の建屋もあるようですが、長い年月が経っていますので定かではありません。その北には「信州ハム上田工場」がありましたが、当時は「SB食品」のカレーの工場でした。夕方になるとカレーの臭いが漂てきて空いたお腹に応えたおぼえがあります。

 当時はこの堤防沿いの道も舗装はされていなくて石ころだらけのダートでした。この先で堤防沿いの道路はなくなっていましたが、ここから見た「岩鼻」がいちばん見慣れた景色と言えます。Uターンして西上田駅に行ってみることにしました。こちらも懐かしいですね。駅の向かいのこの角に、当時はタバコ屋さんがあったのですが今はさら地になっていました。

 そして、駅に向かって右手に「まゆ浪漫」という立派な看板があって、「まゆの里の名残りをとどめる家並みとの出逢い!」と書かれています。「繭」に関わる名所が下塩尻だけでもこんなにたくさん紹介されています。

 次は、国道18号線沿いの東側にある清酒「福無量」の蔵元、沓掛酒造株式会社さんにお邪魔してみました。学生時代何かの用事で行ったとかいうわけでは無いのですが、思い出深いところからほど近いところにある酒蔵なので、以前から気になっていました。


 「福無量」とは、観音経の一節「福寿海無量」の中の3文字を使ってるということのようです。その意味は、「福が限りなく授けられますように」という意味のようです。明日は、「酒蔵マルシェ」というイベントがあって、準備で忙しそうなところにお邪魔してしまいました。

 案内もいただいたのですが、明日の「酒蔵マルシェ」は記念すべき第1回のようです。明日もお邪魔したいのですが、「御開帳」の善光寺をお参りすることになっていますのでとても残念です。


 沓掛酒造さんで買い求めたのは純米生原酒「郷の舞」、アルコール分 17度 精米歩合 59% 雑味がなくて酸味を含んだ豊潤な香りを感じました。澄んだ甘みとほのかな酸味が美味しい、後味もすっきりした酸味を感じます。香りも飲んだ時にも雑味を感じないお酒です。

 そして、大きな杉玉の向こうに気になる桑の木を見つけました。杉玉を撮ったり、また戻って桑の木を撮ったり、何とも怪しい客だと思われたのではないでしょうか?

 この桑の木は正しくは「枝垂れ桑」です。この桑の木は蚕都 上田を代表する、大変珍しい観葉植物だということです。

 少々、話が長くなります。現在の上田東高校は以前、小県郡蚕業学校といい高等部は上田蚕糸専門学校で、現在の信州大学繊維学部です。上田東高校と信大繊維学部は兄弟学校だったということです。

 この「枝垂れ桑」は、信州大学繊維学部の前身の上田蚕糸専門学校が設立されたころ、フランスのリヨンに留学した方が持ち帰ったということですが、実際には、誰が持ち帰ったかは定かではなかったということです。

 この「枝垂れ桑」をフランスから持ち帰った方は、小県郡蚕業学校(現在の上田東高校)の初代校長 三吉 米熊氏ではないかということです。上田市でこの「枝垂れ桑」の並木が見られるのは、上田東高校に信大繊維学部、笠原工業、上田城跡公園の三吉 米熊氏の銅像に至る小径沿いということです。

 おそらくは、20年ほど前の信濃毎日新聞にこの「枝垂れ桑」を普及させようという記事を見た覚えがありますが、この企画を計画したのは、あの笠原工業だったと思います。今では佐久市でも時々見かけることもありますが、正に蚕業と関わる地域の歴史に相応しい桑の木といえるのではないでしょうか。

 思えば2年生の夏季、学外実習という実習があって、長野県各地の稚蚕飼育所から養蚕農家へと、蚕の成長に併せてみなそれぞれに泊りがけで約1ヶ月の実習に出かけました。上田の同級生と自分は、旧中条村(現在の長野市 中条地区)の養蚕農家にお世話になりました。とても熱心な養蚕家で、桑園にはたくさんの桑の木が博物館の様に大切に育てられていました。中でもひときは目についた桑の木は「たけまい桑」という大きなハート形をした葉の桑の木でした。

 栄養豊富な桑の葉を食べて育ったお蚕さんから大切に排出される絹糸は、どんな化学繊維にも劣らない上質なものといえます。またそんな繊維盛んな時代が来ないとも限りませんので、桑の木も大切にしておかないといけないと思います。