satoyamanekokunのブログ

猫たち、お酒、山に虫、神社仏閣、全くまとまりのないブログですいません。

神社仏閣を訪ねて(1)金龍寺

我が家の菩提寺は、長野県 佐久市 伴野にある、倉瀬山 金龍寺と言います。
曹洞宗の禅寺です。

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その昔は、同じ佐久市岸野地区の根岸にある、天童山大徳寺のご住職さんの隠居寺だったということです。

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こちらが、佐久市根岸にある天童山大徳寺です。

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参道には、西国三十三番観音さまがきれいに並んでおります。
1632年 裏手の倉瀬の断崖の路傍より、現在の場所に移されたということです。
その裏手の断崖の下は、千曲川が大きくカーブして、「龍宮淵」という深い淵になっています。
ありがたいお観音さまの何体かは永い年月の間に、この断崖から龍宮淵の底に落ちてしまったということです。

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参道の先には、樹齢400年と言われる、古木のしだれ桜があります。
同じ佐久市岩村田円満寺というお寺がありますが、その円満寺には「砂ずりの藤」 という有名な藤があります。
花の房が長いので、地面に付きそうなほど見事なことからそう呼ばれているのですが、金龍寺のしだれ桜の枝も地面に付きそうだと思いませんか?

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この桜はこの辺りでは 、比較的早く咲くことから、楽しみにしている人たちも多いようです。

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本堂 中央におわしますご本尊さまは、釈迦如来坐像でございます。
ご本尊に向かって左におられるお観音さまは、遠く戸隠から運ばれてこられたとのことです。
ご住職さんの奥さまに聞くと、着衣にもきれない紋様が描かれており、大変珍しいお観音様だと感じておられたようです。

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本堂のすぐ左脇に小さな池があります。この池は、「五郎兵衛さんの池」と言います。
江戸時代の始め、五郎兵衛用水を築いた市川五郎兵衛さんと、当時のご住職さんはとても親交が深く、五郎兵衛用水を築くにあたり色々なご相談をされたということです。
そして市川五郎兵衛さんは、この五郎兵衛用水の水の一割は金龍寺のものであると言って、この池に五郎兵衛用水の水が分けられてきたということです。
以前は、桜の木の近くにもう一つ池があったのですが、桜の根が弱っていたことと、様々な理由で埋め立てられたということです。
この水を使って金龍寺では、古くから米作りをされていました。
きれない水と、肥沃な粘土土に恵まれた田んぼでは、有名ブランド米の「五郎兵衛米」と変わらない美味しいお米が採れます。

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こちらは、金龍寺の水田です。竹ヤブの少し先は断崖絶壁です。
この「五郎兵衛さんの池」には、コウホネが群生していて、ドジョウやイモリ、カエル、カワニナ、ホタルなどの水棲動物もたくさん生息しています。

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市川五郎兵衛さんと親交が深かった金龍寺の本堂には、市川五郎兵衛さんと、岩尾城攻略の際討ち死にした、佐久の豪族依田信蕃公のお位牌が安置されています。

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本堂前の植え込みの中にある、上が平らなこの石は、「武田信玄の床机石」と呼ばれています。
金龍寺が建立される前、裏手の高台にお堂があって、そのお堂の近くにこの床机石が置かれていました。
戦国時代、武田信玄がここに立ち寄り、この石に座って田植えの様子を眺めて、「大いなる佐久の平坦」と言ったということです。
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こちらは庫裏ですが、落ち着いたたずまいが好きです。

まだまだ、知らないことがたくさんありますので、ご住職さんご夫妻に教えていただきながら、その都度更新したいと思います。

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こちらは、五郎兵衛用水近くから見た蓼科山です。個人的に大好きな山の一つです。